ロスチャイルド家という名を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
彼らはユダヤ人であり、世界有数の財閥にのぼり詰めた有名な一家です。
いつの時代の人たちなの?
なんでそんなにお金持ちになったの?
今はどうしているの?
なんとなく聞いたことがある名前だからこそ、いろいろと疑問が湧いてきますよね。
ロスチャイルド家の歴史を、簡単にたどっていきましょう。
ロスチャイルド家のはじまり
1743年、今のドイツ・フランクフルトのゲットーにマイヤー・アムシェルが誕生しました。
ロスチャイルド家の初代にあたる人物です。
彼は中部ドイツの町・ハノーバーの銀行で奉公をしていました。(雇われて働いていたってことですね)
そして20歳になると彼は故郷へ戻ります。
そこで始めたのが古銭商でした。
古銭商っていうのは、古銭を売って儲けるという文字通りのことなのですが、当時は18世紀です。
今でこそコレクターは世の中にたくさんいますが、当時、こういったものに手を出すのは裕福な貴族くらいです。
一般庶民はそんなことにお金を費やす余裕などみじんもありませんでした。
マイヤー・アムシェルがなぜこの商売を始めようと思ったのかは定かではありませんが、これが後に財閥ロスチャイルド家を生み出す初めの一歩になろうとは誰も思わなかったことでしょう。
古銭に興味を持つ裕福な貴族という顧客を開拓するために、ひたすら上流階級への接点を持とうと攻め込んでいきます。
この頃から、屋号として使っていた「ロスチャイルド」を姓として名乗るようになっていきます。
「ロスチャイルド」は後からできた名だったのね!
そしてついに、プロイセン君主であるフリードリッヒ大王の皇太子ヴィルヘルム公を顧客につけることに成功します。
人の心をつかむ達人マイヤー・アムシェル
ユダヤ人の下層階級である者が、貴族と面識を持つなど、当時としては考えられません。
ところがマイヤーは、幼少期に身につけた古銭の歴史や語学の勉強の甲斐あって、言葉巧みに売り込みをしていきます。
自身で手書きのパンフレットを作成したり、それらを郵便で送ったり(今でいうDM)、とにかく努力しまくりました。
加えて、マイヤーは人の心をつかむのに長けていたようです。
人当たりもよく、気づけば領主や貴族から直に注文を受けるまでに至ります。
ヴィルヘルム公が顧客となった際には早速それを謳う看板を玄関先に掲げてアピールします。
信用がものをいう商売で、ぬかりなくこういったアピールも忘れません。
ちなみに、「ロスチャイルド」とは「赤い楯」という意味です。
マイヤーの先祖が代々赤い楯を家紋として掲げて商売をしてきたことに由来しています。
そしてそれをそのまま姓にした、ということですね。
古銭商から為替ビジネスへの躍進
ヴィルヘルム公が顧客になったことは非常に大きな転換点となります。
ヴィルヘルム公は名門貴族です。
そして大資産家です。
そんなヴィルヘルム公の財政運営にマイヤーは関わっていくことになります。
マイヤーは古銭商の傍ら、両替商も行っていました。
ヴィルヘルム公の財産運営をしていくうちに、ロンドン振り出しの為替手形の現金化の仕事にも携わるようになり、ついには国家財政の金融業務に関わるまでに至ります。
為替というと、今では当たり前のように使われていますが、当時はまったく市場整備がされていません。
そのため、それぞれの国(当時はまだ国家という概念はありません)がどのくらいの通貨力をもっているかはなかなかタイムリーにわからないことでした。
そのため、為替を使っていまあるものをいくらに交換するのか、これが難しかったのです。
しかしマイヤーには5人の息子がいました。
ロスチャイルド家の飛躍
5人の息子とは、アムシェル、サロモン、ネイサン、カール、ヤコブです。
彼らには幼き頃から自身の仕事を見習わせ、育てていきました。
そして彼らを大事な顧客に送り込み、ロスチャイルド網を広げていきます。
タイムリーな情報がものいう時代ですから、これら5人の息子たちをフランクフルト、ロンドン、パリ、ウィーンに配置します。
現地の情報を得ることで協力して為替ビジネスをこなしていくことに成功します。
もう少し詳しくみていくと、長男次男を、いまやヴィルヘルム9世となった元ヴィルヘルム公の金庫管理業務に就かせ、三男をイギリスのマンチェスターに送り込みました。
当時のイギリス・マンチェスターは繊維産業都市で産業革命真っただ中。
三男に綿製品の買い付けに当たらせました。
実はこのとき、マイヤーはこんなことを考えていたのです。
イギリスの小切手を両替するだけで終わるのではなく、イギリス綿製品の購入にそれをあてたらいいのではないか・・・?それでその綿製品をドイツで販売すれば、利益はさらに大きくなるじゃないか!
実はこれが大当たりします。
両替と貿易で稼いだお金でさらに投資をして儲けていくのです。
また、三男ネイサンは銀行家になることを考え出し、ロンドンの金融街で動き出します。
ナポレオン戦争で資産は30倍に
さて、そんな中ピンチが訪れます。
フランス・ナポレオンの登場です。
ナポレオン戦争の際、ドイツはフランスの占領下に置かれてしまいます。
ピンチなのはヴィルヘルム9世です。
彼はデンマークに亡命をせざるを得ませんでしたが、その際に資産を秘密裏にマイヤーに託したのです。
戦時中に大手銀行に預けておくと、かえって危ないと考えたヴィルヘルム9世は、信頼の厚いマイヤーにその役割を任せます。
マイヤーはナポレオンの占領下にないイギリスへ資産を移し、三男ネイサンはイギリス公債に変えたりしてバレないように管理していたのです。
そしてナポレオン失脚の1814年に、ヴィルヘルム9世にしっかりと返されたといわれています。
その間行っていたイギリス公債の購入額の大きさに名をとどろかせたロスチャイルド家は、イギリス財界をざわつかせました。
それがさらに荒稼ぎするきっかけになり、また、ナポレオンの大陸封鎖令に乗じて得た密輸が大きな利益を生みました。
気づけば、ナポレオン戦争が終わる頃にはロスチャイルド家の資産はこの10年あまりで30倍にもなっていたのです。
ピンチと思われたナポレオン戦争は、結果的にロスチャイルド家にとってはとんでもなく儲けたチャンスの時代だったのです。
この後も、ヨーロッパの政治・経済の主な出来事にロスチャイルド家が登場しないことはない、と言われるくらいの影響力をもち、財閥としての地位も確固たるものとなっていきます。
一例がスエズ運河です。
ロスチャイルド家がいなければイギリスはスエズ運河の権利を得ることはできなかったのです。
他にも色々な話があり、ここでは書ききれません。
もしロスチャイルド家に興味を持たれたら、ぜひ書籍も読んでみてください。
ロスチャイルド家以外にもお金の流れの歴史が載っている書籍もおもしろいですよ。
ロスチャイルド家の現在
ロスチャイルド家の歴史を話し出すと、とてもじゃないけど素人が書き切るなどできません。
彼らはユダヤ人でもあるので現在のイスラエル建国にも関わっています。
第二次世界大戦後は以前の勢いはないにしても、ロスチャイルド家はいまも続いています。
ちなみに、ロスチャイルド家の衰退には大きく2つの要因があると考えられています。
ひとつは、アメリカ進出の遅れです。
当時はヨーロッパ中心で、ここで成功を収めている者はわざわざ新興の土地であるアメリカにいくのは考えにかったと思います。
しかし結果的にその後アメリカが覇権を握ることとなり、その時流に乗り遅れた感は否めません。
また、株式会社化の流れに早いうちからのれなかったことも理由として考えられます。
時代は国債の引き受けから企業投資へ移っていきました。
ところがロスチャイルド家は家族経営の形態を貫き、株式会社化をしませんでした。
後ほど株式会社化はしたものの、これも大きく出遅れたものと思われます。
それでも、現在でも金融事業は継続していますし、ワインの生産も行っています。
子孫もたくさんいて活躍していますので、ロスチャイルド家はいまもなお世界中で存在感を放っているといえるでしょう。
情報戦を制して時代とともに拡大してきたロスチャイルド家の今後を、これからも注目していきたいですね。