北欧史★★★
ナポレオンも参考にし、尊敬をしたと言われているスウェーデン王グスタフ=アドルフ。
彼は国王でもあり、武人でもあり、5ヵ国以上の言語を話せた知識人でもありました。
そんなグスタフ=アドルフが活躍し、一気に名声をあげたのが三十年戦争です。
スウェーデンがこの戦争に参戦するのは1630年。
きっかけは、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世がデンマークを抑え、北ドイツに覇を唱えたところから始まります。
皇帝軍はバルト海にまで進出し、制海権を狙い出すのです。
当時バルト海はスウェーデンが覇を唱えていました。
ここに進出してくることはすなわち自分の庭を荒らされるようなもの。
死守せねばなりません。
加えて、フランスと条約も結びました。
1631年ベールヴェルデ条約です。
簡単にいうと、フランスが資金援助するよ、です。
当時のフランス宰相リシュリューは、スウェーデンの軍隊に目をつけていました。
スウェーデンの興り
先にスウェーデンの始まりについて少し触れておきましょう。
元々スウェーデンはデンマークの支配下にありました。
16世紀に、グスタフ=ヴァーサがデンマークに戦いを挑み、見事独立を勝ち取ります。
これが、スウェーデン王国ヴァーサ朝の始まりです。
スウェーデンでのヴァーサ朝は1654年まで続きます。
徴兵制を実現した最初の国、スウェーデン
さて、グスタフ=アドルフのすごさは軍事改革をしたところにあります。
当時は傭兵を集めることが常でした。
戦争が起こると、軍事プロと契約を結ぶってやつです。
それゆえ、忠誠心や愛国心というものがないので、適当に戦う傭兵も多かったそうですが、国王からすれば傭兵以外に頼る術がありません。
国王軍という常備軍をもつにはお金がかかりますし、育てるのにも時間がかかります。
当時は国という概念はありませんので、仮にできたとしてもあくまで国王が抱える軍として限定的な範囲でしか実現できないのです。
そんな中、グスタフ=アドルフは1620年、徴兵制を実施しました。
傭兵であれば武器も服も自前のものを用意してもらうわけですが、徴兵となれば招集した側がこれらを用意します。
戦争のときだけお声がかかるのとは違い、常時戦いを生業として訓練する「常備軍」です。
グスタフ=アドルフは、さらに軍事制度を整え改編します。
歩兵・騎兵・砲兵をバランスよく鍛えたのです。
戦い方も、砲兵がまず敵陣を崩しにかかり、続いて騎兵が突撃し、最後に歩兵が占領しにいきます。
この基本をつくったのがグスタフ=アドルフです。
そしてグスタフ=アドルフ自身は騎兵の先頭に立つのが常でした。
これが後に悲劇を生みますが、この軍の完成度に目をつけたのがフランスでした。
先ほど述べたベールヴェルデ条約です。
フランスからの資金援助が後押しし、スウェーデン軍は皇帝軍に対して連戦連勝を重ねていきます。
リュッツェンの戦いでグスタフ=アドルフ死す
連戦連勝を重ねるスウェーデンに、まわりも力をあわせていきます。
渋っていたザクセン選帝侯やブランデンブルクが兵を出して加わり、スウェーデン軍の勢いは止まりません。
神聖ローマ皇帝軍の総司令官であったティリーも敗れ、皇帝軍危うしです。
そしてここで、かの(一度罷免した)ヴァレンシュタインを呼び戻すのでした。
勝つための苦肉の策ですね。
彼に頼るしかなかった。
1632年、リュッツェンの戦いです。
グスタフ=アドルフ V.S ヴァレンシュタイン
さて、どちらが勝ったのか・・・?
勝者はグスタフ=アドルフ率いるスウェーデン軍でした。
しかしこの勝利は、グスタフ=アドルフの死を引き替えにした勝利だったのです。
王自らが戦闘の最中に命を落とすことは、近世に入っては極めて稀なことである。
「傭兵のニ千年史」菊池良生著 株式会社講談社
スウェーデン軍は徴兵とあわせて、足りない兵力には傭兵も使用していました。
それゆえ、国王が最前線に出て号令をかけて戦うのが常だったようです。
先ほどお伝えした通り、グスタフ=アドルフは騎兵の先頭に立つのが常だったと。
これが、国王が戦死してしまった所以かなと思います。
この後、ヴァレンシュタインも暗殺され、三十年戦争は膠着状態に陥ります。
最後はフランスが参戦し佳境を迎えるのですが、それはまた別のところでお伝えしたいと思います。