民族史★★★/ローマ帝国史★★
ゲルマン民族の大移動、必ず習うところですよね。
でもなかなかイメージがつきにくくないですか…?
375年ゲルマン民族の大移動!
高校生のわたしは完全にこれを暗記するだけで終わってました。
ダメですね。
なぜゲルマン民族は大移動をしたのか。
もちろん、突然思い立って移動したわけではありません。
その原因となった話と、その後の流れを今日は追いかけてみましょう。
フン族の西進がゲルマン民族を動かした!?
ゲルマン民族の大移動の話は、カスピ海の北あたりにいた遊牧民フン族の話から始めないといけません。
真のスタートはユーラシア大陸の東、東匈奴の移動です。
内モンゴル辺りにいた東匈奴が西匈奴を滅ぼし、西へ移動しはじめます。
その影響で中央アジア、コーカサス地方にいた遊牧民フン族が西へ移動せざるを得なくなりました。
それがきっかけでユーラシア大陸の西にいたゲルマン民族が玉突き的に次々と押し出されました。
もちろん、それ以前からローマの北東周辺にいたゲルマン民族たちの小規模な移動はありました。
人口増加による農地不足や他民族の圧迫による移動などです。
そしてゲルマン民族といっても様々です。
ブルグンド族やアレマン族、スエヴィ族・・・・いろいろな地域にさまざまなゲルマン民族がいたわけです。
そんなゲルマン民族の昔からある小さな移動が、今回フン族の西進により大移動に変わっていくのです。
さて、ゲルマン民族の大移動はゲルマン人の一派である、ゴート人たちが主役です。
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そのゴート人は、もともとはバルト海南部に住んでいたようです。
そこから東ゴートと西ゴートに割れます。
東ゴート族は黒海の北側にいました。
まずここにフン族が侵入し、東ゴート族はこの侵入に圧迫されます。
東ゴート人の移動
東ゴート族はフン族の支配を受けたりローマの保護を受けたりと、混乱に陥ります。
それでもなんとかフン族の支配に耐えて、ようやく5世紀末にフン族が衰退することにより自立の道を歩みます。
東ゴート族は457年頃、現ハンガリーの地に移住します。
ところがここ、東ローマ領なんですよね。
この頃ローマ帝国はどうなっていたかというと、395年に既に東西分裂していました。
そして476年には西ローマ帝国が滅亡します。
滅亡のきっかけはゲルマン人の西ローマ帝国の傭兵隊長オドアケルです。
西ローマ皇帝に反旗を翻したのです。
オドアケルは東ローマ皇帝に西ローマ皇帝位を返上し、その代わりローマ皇帝の代官としてイタリアを統治する法的権限を得ました。
ところがオドアケル、このあと東ローマ帝国に干渉したりと、東ローマ皇帝から反感を買います。
その結果、東ローマ皇帝から命令を受けた東ゴート人テオドリックがオドアケルを討伐します。
493年、東ゴート人を率いてテオドリックは北イタリアに侵入。
オドアケルを殺して493年に東ゴート王国を建国しました。
東ローマ帝国ユスティ二アス帝に滅ぼされる555年まで、8人の王が続きました。
西ゴート人の移動
375年、フン族が東ゴート族の地に侵入し征服されたことを知った西ゴート族。
次は自分たちかもしれないと慌てた彼らは、ドナウ川をわたり、さらに西のローマ帝国内に侵入します。
実は当初、ローマに保護を求めてやってきたとされています。
これがゲルマン人の大移動と一般的にいわれているものです。
ローマは帝国領内移住を認める一方で、ゲルマン民族には国境防衛の任務につかせました。
ところがゲルマン民族の移動は止まりません。
よりよい土地を求めてさらに西へ、ガリア(今でいうフランス)へも移動していきます。
まもなく滅亡する西ローマ帝国の支配力が低下してきたことも原因とされています。
ここに移動し、415年に西ゴート王国(首都トロサ)を建国します。
そして469年頃にはイベリア半島をほぼ支配します。
イベリア半島は、現在のポルトガル、スペインがあるヨーロッパの一番西の突き出た部分です。
ガリア南部とイベリア半島を支配した西ゴート王国ですが、5世紀の終わりごろにゲルマン民族の一派であるフランク王国に、ガリア南部を奪われてしまいます。
イベリア半島だけになった西ゴート王国。
都をトレドに移動させました。
711年、イスラム教勢力のウマイヤ朝に滅ぼされるまで続きます。
ゲルマン民族の移動は何をもたらしたか
フン族についても最後確認しておきましょう。
フン族は東ゴート族の地域を征服してから、アッティラ王のもとで栄えます。
一時はガリアあたりまで向かい、イタリア半島にも侵攻しています。
でも結局はアッティラ王の死と共に衰退し、454年頃には歴史の舞台から消えていきました。
さて、フン族の移動はゲルマン民族の移動のきっかけとなり、それはやがて西ローマ帝国の崩壊に繋がっていくことがわかったかと思います。
また、実はこの大移動がきっかけで、アングロ=サクソン人がブリテン島に渡っています。
これが後々のイギリス人のルーツに繋がりますし、そういった意味ではアメリカにも繋がります。
それにしても、我々が使うゲルマン人の「大移動」は、移動する側からみた歴史ですよね。
受ける側からするとまた違った見え方があります。
なので、国や地域によってはゲルマン民族の「大侵入」と言うそうです。
確かに、自分の地に他民族が押し寄せてきたらそうなりますね。
世界史を知るうえでは、それぞれの視点や立場で考えることも大事だと気づかされます。