大航海時代と教皇子午線

中世ヨーロッパ史★★★

地球儀や世界地図を眺めていると、縦の線(経度)・横の線(緯度)が引かれているのがわかると思います。

今では当たり前になっていますが、コロンブスが海へ出ていった時代には、正確な経度や緯度はありませんでした。

特に長い航海をするときは非常にリスクが高かったんだよ

経度の基本的なお話

現代では、イギリスに経度0度の線が通っています。

もっと詳しくいうと、イギリスのグリニッジ天文台にあるエリア子午線という望遠鏡の中心を通る子午線を世界共通の経度の原点にしています。

そこから東西に180度設定されており、イギリスの真裏、太平洋上に日付変更線が設けられています。

日本は東経135度の経度が、兵庫県明石市を通っていますよね。

さて、この「イギリスを基準に設定する」というのは1884年の国際会議で決められました。

これにより、「時差」が設けられ、わかりやすくなりました。

ところがこれよりも前、コロンブスが航海に出てアメリカ大陸を発見したときはこんな基準はもちろんありません。

それどころか、ローマ教皇が勝手に線を引っ張ってしまったんですね。

世界史でいうところの「大航海時代」、15世紀~17世紀にかけての子午線に絡むお話を今日はしていきたいと思います。

「大航海」時代ではなく、「大発見」時代と呼ぶ国もあるそうよ。

\ 寄り道しよう /

もくじ

コロンブス、新大陸見つけたってよ

15世紀、レコンキスタ(失地回復)真っ盛りの時代、イベリア半島は徐々にヨーロッパ勢力が押し戻していました。

そんな中、ポルトガルは一足先にアフリカ大陸まで航海範囲を広げます。

1488年にはバルトロメウ=ディアスが喜望峰に到達します。

1498年にはヴァスコ=ダ=ガマが喜望峰をまわってインド洋を渡り、インドのカリカットに到達し、念願の香辛料などを持ち帰ったのです。

アフリカ大陸全体図

一方、レコンキスタが完了した1492年、スペインもようやく西側の海に出ることになりました。

ところが、アフリカ大陸はすでにポルトガルの手中です。

当時、ローマ教皇シクストゥス4世によって「カナリア諸島以南の新領土はすべてポルトガルに属するものとする」とされていました。

現在のアフリカ大陸の地図

そこで当時の世界地図をにらめっこしていたコロンブスが思いつきます。

「この世界地図をみていると、地球は丸いはず。ということは、西へ西へと向かえばいつかインドに到達するのでは…?」

もちろん、この地図に南北アメリカ大陸は載っていないよ。
その他地域の地図の精度もまだまだ低いしね。

この後、コロンブスが新大陸を発見したことで事態は急変します。

教皇子午線を設定

コロンブスが新大陸を発見した時のローマ教皇は、スペイン出身のアレクサンデル6世。

新大陸発見により、境界線を新しく設定します。

今後発見されるであろう新たな土地について、スペインとポルトガルの間で対立が起こるだろうと予想されたからです。

ローマ教皇が両国からの調停の求めに対して下した結論がこちらです。

「カーボヴェルデの西100リーグの地点を通過する子午線を境界線として、その東側をポルトガルが、西側をスペインが優先権をもつものと認める」※1リーグはだいたい4.5kmくらい(時代により多少変わる)

と、したのです。

この結果生まれたのが、1493年の「教皇子午線」です。

カーボヴェルデの位置

ローマ教皇がスペイン出身というよしみもあったのでしょう。

若干、スペイン側に有利な設定でした。

トルデシリャス条約

この内容に、当然のことながらポルトガル側は反発します。

「境界線をもっと西側にしてください!」

と、ローマ教皇に直談判します。

そうしてトルデシリャス条約で境界線が再設定されました。

1494年の出来事です。

この先、新領土はスペイン領・ポルトガル領で二分されていきます。

トルデシリャス条約は公の国際政治の場で経度が登場した初めての例と言われています。(正確性はさておき。)

緯度と経度がきちんと揃うのは18世紀になってからなので、もう少し先のお話になります。

冷静に考えてみればとんでもない設定ね。
勝手に人の土地を2国間で、しかも支配権を決めちゃうわけでしょ?

その土地の人たちもたまったもんじゃないよね。
それに、こんな勝手な領土の取り決めを他の国は反発しなかったのかな?

当時のスペインは大国だったし、まだ他の国は力をつけてきてなかった。
イスラム教国にとっては西側航路は特に関心がなかったとも思われるしね。
この内容に不満を抱えてヨーロッパ各国が乗り出してくるのは、もう少しあとの話になるよ。

            

地球は丸かった

スペインとポルトガルの境界線を決めたのはいいですが、このあと地球が丸いことが確定したので、地球の裏側の境界はどうなるのか?という問題に直面します。

地球が丸いと確定したのは、1522年にマゼラン一行が達成した、世界周航の旅でした。

これにより、1529年に新しい条約・サラゴサ条約が決められました。

ちょうどトルデシリャス条約で決められた境界線の裏側は、日本の(現在の)岡山県と広島県の県境あたりを通ります。

日本がスペインとポルトガルに分断されるのか!?

当時は日本をどうするという話より、モルッカ諸島が焦点にあたりました。

香辛料の大産地だったからです。

ここをどっちが取るかでピリピリしたのです。

結局、モルッカ諸島の東側に線が引かれ、このずらした分の代償はポルトガルからスペインに賠償金を払うことで決着したようです。

つまり、モルッカ諸島はポルトガルの領地ということになったんですね。

これにより、境界線は東経144度あたり、日本でいうと(現在の)北海道釧路付近を通る線に決まりました。

大航海時代の終焉

このスペイン・ポルトガルの航海により、新大陸・未開地の発見を競い合うようになっていきます。

徐々にイギリスやフランス、オランダも乗り出してきます。

大航海時代は16世紀にピークを迎えた後、もはや新たな土地の発見はなくなっていきます。

航海に莫大な資金を費やすよりも、各国は植民地支配を強めていくのです。

このあとの歴史はまた別の機会に話すとして、征服された側としてはたまったもんじゃないですね。

この時代の植民地支配が、現代の紛争の元となっていることも多いからね・・・

大航海って名前だけ聞くとロマン溢れるイメージだけど、それによって多くの血が流れたことも知っておかないといけないね。

参考:「子午線」の名の由来は方向を十二支で表したときの北の方向の〈子〉と南の〈午〉とを結ぶという意味だそうです。

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