北欧史★★★
北欧の国、スウェーデン。
この国は現在も王室があります。
ところが、この「現在」の王の祖は、スウェーデンに縁もゆかりも無い人物だということはご存知でしょうか。
なぜ急にそのようなことになったのか。
歴史的背景とともに確認してみましょう。
スウェーデンはここ
カール12世の活躍とスウェーデンの衰退
以前、三十年戦争で活躍した国王グスタフ=アドルフを紹介したかと思います。
彼はスウェーデン王室のヴァーサ家です。
いわゆるヴァーサ朝ですね。
スウェーデン王が教科書に出てくるとしたら、このグスタフ=アドルフと、もう1人、カール12世がいます。
カール12世は1697年に即位しましたが、その時は15歳でした。
この時代、スウェーデンはバルト帝国としてヨーロッパ大国に君臨していました。
そんな大国がこれ以上力をもたないように、ということで周辺国が介入してきます。
ロシア・デンマーク・ポーランドが共同攻撃を仕掛けてくるのです。
ところがです。
カール12世は若くして軍事的才能があったんですね。
ロシア軍の三分の一以下しかいなかったスウェーデン軍。
そんな劣勢にもかかわらず、カール12世指揮下で勝利を収めます。
勢いのままポーランドにも侵攻。
カール12世は周辺国を蹴散らし、勝利を収めます。
当時のロシアはピョートル1世。
この負けが相当悔しかったのか、このあとめちゃくちゃ作戦を考えます。
両者が次に戦ったのは7年後の1707年でした。
カール12世はロシアに向かって軍を進めます。
ピョートル1世はそれを「焦土作戦」で対抗しました。
自国の土地を文字通り「焦土」させ、荒れ地にしまくります。
カール12世率いるスウェーデン軍は、どんどんロシアに深く侵入していきますが、行っても行っても村という村は出てこず焼け野原です。
結果、気づいたときには食糧難に直面。
補給も追いつかぬまま、困窮状態のスウェーデン軍はロシア軍と激突するのです。
結果はピョートル1世の勝利です。
敗れたカール12世はオスマン帝国まで敗走。
スウェーデンに戻って形成を立て直そうとするも、結局カール12世は戦死してしまいます。
この後、スウェーデンは衰退し、ロシアがバルト海の覇者となるのです。
ちなみにこのロシアの焦土作戦は、ナポレオンのロシア遠征でも使われました。
スウェーデン議会の決断 次期国王はナポレオン配下の将軍を迎えよう!
カール12世は生涯独身で子がいなかったため、妹が王位継承し、その後もヘッセン朝、ホルシュタイン=ゴットルプ朝に移りながらも王室は続いていました。
そして運命のときがやってきます。
時代はナポレオン戦争でヨーロッパ全体が揺れていた頃です。
スウェーデン王グスタフ4世はロシアとの戦いに敗れて、フィンランドを取られてしまいます。(1808年第二次ロシア・スウェーデン戦争)
この失態で廃位に追い込まれ、王位を継いだのは叔父のカール13世でした。
ところがカール13世は高齢でした。
しかも子供もいませんでした。
カール13世亡き後、誰が王位継承をするのか・・・。
スウェーデン議会で議論が始まります。
当時、スウェーデンは1810年にパリ条約でナポレオンと和睦し、大陸封鎖令にも参加します。
圧倒的な強さを誇っていたナポレオンに屈した形ですね。
そして決断をするのです。
ナポレオン軍の指揮下にいた将軍ジャン=バディスト・ベルナドットを王位継承者として推薦します。
スウェーデン軍、スウェーデン議会の戦略的大決断ですね。
それは国を守るための決断だったのか、ナポレオンに媚を売るための安易な決断だったのかはわかりません。
1818年、ベルナドットが国王に即位し、現在のスウェーデン王室の祖・ベルナドッテ王朝が成立したのです。
ちなみに、ナポレオンはこれを承認しています。
実はベルナドットはナポレオンとあまり関係はよくないようで、最後は裏切ります・・・。
こういう二人の仲を見越しての王位継承者指名だったのかはわかりません。
ベルナドット:1763年フランスのポーにて誕生。弁護士の子。1780年にフランス王国海軍に入隊。フランス革命期には王国側についていたが、ルイ16世処刑後は降伏して革命軍に加わる。ナポレオンを敵視していたがナポレオンが皇帝に即位した後はナポレオンに追従。それでもナポレオンに対しては疑心暗鬼のまま、最後はロシア遠征で裏切りスウェーデン王国を守るためイギリスやオーストリアと手を組む。スウェーデン王名はカール14世。
カール14世の息子オスカル1世の妻はあの人の子孫!?
カール14世の1人息子であるオスカル1世は、1844年から第二代スウェーデン国王に即位します。
そんなオスカル1世の妻はユセフィナ・アヴ・レウクテンベリです。
これをフランス語読みで全名明記すると、ジョゼフィーヌ・マクシミリアーヌ・ウジェニー・ナポレオーヌです。
ん???
どこかで聞いた名前ですね。
実は彼女を遡ると、なんとナポレオンの最初の妻ジョゼフィーヌに繋がります。
ジョゼフィーヌはナポレオンと結婚する前に、前夫との間に子供がいました。
娘の名はオルタンス。
彼女はナポレオンの弟ルイと結婚しています。
そして後の第二帝政で登場するナポレオン3世が二人の間に生まれています。
また、ジョゼフィーヌは前夫との間に息子もいました。
名はウジェーヌ。
ナポレオンの養子となりましたが、その後バイエルン王マクシミリアン1世の娘であるアウグステと結婚。
この二人の間に生まれたのがオスカル1世の配偶者となる人物、先程名前を説明したユセフィナです。
なんとこんなつながりがあったのですね。
彼女はナポレオン戦争でつらい思いをした人たちを慮って、ナポレオーヌの部分は省略し、ユセフィナ・アヴ・レウクテンベリと名乗ったそうです。
スウェーデン王室はナポレオンと切っても切れぬ縁のようですね。
ちなみに現国王カール16世の後継は、長女のヴィクトリア王太子です。
1980年の王位継承法の改正で男子継承から長子相続制に変わったためです。
第二順位が孫のエステル王女、第三順位が孫のオスカル王子です。
二人の孫がとっても愛らしくて、国内でも人気が高いのだとか。
スウェーデンのロイヤルファミリーに今後も注目が集まります。
気になる人はスウェーデン王室公式インスタでチェックしてみてください★
https://www.instagram.com/kungahuset?igsh=MWw4cDZ2b2h2N3Nwag==
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