ペルシア人(=アーリア人)王朝の興亡

世界初の世界帝国を築いたのはアケメネス朝ペルシアです。

この、アケメネス朝ペルシアを興したのは古代オリエント地域におけるアーリア人たちです。

アーリア人はインド=ヨーロッパ語族に属し、騎馬民族でもありました。

そんな彼らは、今でいうイラン人の出発点とされています。

元々はアーリア人と呼ばれていたのが、騎馬者という意味のパールスを語源にするペルシアが国号となったため、その後は次第にペルシア人と呼ばれるようになったと考えられています。

今のイランの人々は、アーリア人=ペルシア人だったってことだね。

そう。中東に位置する国だけど、彼らはアラブ人ではないよ

でも、今じゃ見た目でイランの人かアラブの人か、わからないわよね

長い年月をかけてイラン人とアラブ人の混血が進み、いまに至っているからね。
もともとはアラブ人よりも白人ヨーロッパ人に近かったとされているよ。

そんなペルシアの歴史を、ここでは簡単にお伝えしておきます。

紀元前525年頃:アケメネス朝ペルシアの統一

紀元前330年にアレクサンドロス大王が襲来し、アケメネス朝ペルシアは滅亡します。

しかし、アレクサンドロス大王死後、その後継者たちはうまく覇権を取れず、3つの国に分かれます。

それが、セレウコス朝シリア・アンディゴノス朝マケドニア・プトレマイオス朝エジプトです。

この中で、セレウコス朝シリアを追っておきます。

紀元前248年頃:パルティア王国が独立

セレウコス朝シリア内にて、アーリア人(=ペルシア人)がパルティア王国を建国し、領土を広げて再びオリエント地域を支配するのです。

ここからパルティア王国は約500年にわたって王国を維持します。

そして224年頃、王国内の地方豪族として台頭したササン家にが、パルティアを滅ぼして建国したのがササン朝ペルシアです。

224年頃:ササン朝ペルシアの建国

もちろん、アーリア人(=ペルシア人)の王朝です。

ササン朝ペルシアは、ゾロアスター教を国教化したことでも有名です。

アーリア人優位を唱えて、他の部族を力で抑えようとする王朝だったといわれています。

しかしイスラームの足音が近づいてきました。

イスラム勢力はアラビア半島を統一し、642年、ニハーヴァントの戦いでササン朝ペルシアに勝利します。

651年、ササン朝ペルシアは滅亡し、ここにアーリア人(=ペルシア人)の覇権王朝は終わりを迎えたのでした。

アケメネス朝ペルシアから数えて約1200年の歴史です。

以後、中東オリエント地域はイスラム帝国が覇権を握り、現在に繋がっていきます。

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