フランス史★★★
西ヨーロッパにゲルマン民族が押し寄せたのは、375年頃。
そこから西ローマ帝国が窮地に陥り、ついには476年に滅亡しました。
その後西ヨーロッパはゲルマン民族が各地で支配しますが、ゲルマン諸国家の大半は短命でした。
そんな中、着々と力をつけて領土拡大していったのがフランク王国です。
このフランク王国が今のフランスへとつながる原点となります。
フランクとはなにか?
まずは今のフランスエリアにいた民族から追ってみます。
もともとはケルト人が住んでいたようです。
ケルト人の中でも、フランスに住んでいた人たちは「ガリア人」と呼ばれました。
ローマ人がケルト人たちをそう呼んでいたようですね。
ガリア人と聞いて思い浮かぶのはガリア戦記ではないでしょうか。
カエサルが書いた本ですね。
さて、375年にゲルマン民族が大移動をし、フランスの地にも押し寄せてきました。
すでにこのフランスの地はローマ帝国に支配されていたわけですから、ゲルマン民族が大移動してチャンス!と捉えたのはフランス地方の一部族であったフランク族クローヴィスでした。
ケルト人>>ガリア人>>フランク人:現在のフランス地方は元々ケルト人が住んでいた地ですが、ローマ帝国の支配から時代が下るにつれてケルト人はローマ人と同化していきます。さらに、ゲルマン人の侵入が著しくなってきた頃から、ゲルマン人とも同化していきました。そのため、フランク人はどこの民族か?と問われるともはやゲルマン人ではないか、と言われます。現在ではケルト人の国家はありませんが、ケルト語の歴史は残っており、ハロウィンもケルト人の文化として残っています。
クローヴィスは西ローマ帝国が滅亡した後、486年メロウィング朝を創設しました。
メロウィング朝というとわかりにくいですが、要はクローヴィスはメロウィング家だということです。
さて、ややこしくなってきたのでここでまとめておきましょう。
★ケルト人でガリア地方に住んでいた一部族のフランク族メロウィング家のクローヴィスがメロウィング朝を創設した★
ところがこのあと一悶着あり、メロウィング朝は危機にさらされます。
カロリング家の活躍
この危機に立ち向かったのが、メロウィング朝で宮宰を代々務めてきたカロリング家です。
宮宰:宮廷職のトップ。元々は執事のような職だったのが、次第に「摂政」のような役割を担い、権力を伴う職となった。
カロリング家の活躍で一番有名なのが732年トゥール・ポワティエ間の戦いです。
ここでイスラム軍の進軍を止めたカール・マルテルの名は、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
この頃にはもはやメロウィング家は名ばかりの王で、実権はカロリング家が握っていたようなものです。
そんなことで751年、カール・マルテルの子であるピピン三世がローマ教皇にお墨付きをもらってフランク王に就きます。
ここからカロリング朝が始まりました。
さて、まとめておきましょう。
- ケルト人でガリア地方に住んでいた一部族のフランク族メロウィング家のクローヴィスがメロウィング朝を創設
- 名ばかりの王を降ろし、宮宰職を継承してきたカロリング家ピピン三世がついに王に就き、カロリング朝を開始
フランク帝国誕生
さぁ、いよいよ有名な人物が誕生します。
カロリング家といえば、彼ですよね。
そう、シャルルマーニュです。
カール大帝と呼んだ方が馴染みがあるでしょうか。
現在のフランスの歴史も、このカール大帝から始まります。(と、フランス人は言っています)
カール大帝は先程のピピン三世の子です。
768年にフランク王になり、その後領土を今で言うフランス・ドイツ・イタリアにまで広げました。
この勢いに目をつけたのはローマ教皇でした。
西ローマ帝国を失ったいま、孤軍奮闘していたローマ教皇ですが、世俗の権力をこのフランク王を通して握ろうとしました。
そうして実現したのが、800年カールの戴冠です。
ローマ教皇が世俗の権力者に戴冠する、これが大事な点です。
西ローマ帝国の再建、つまりカール大帝はフランク王国ではなくフランク帝国の大帝なのです。
さて、カロリング家の絶頂を極めたカール大帝ですが、その後継者たちは長続きしませんでした。
カール大帝の後継者はルイ1世。
ルイ1世の死後、フランク帝国は3分割されます。
843年のヴェルダン条約で西フランク、東フランク、中部フランクにそれぞれ分かれます。
東フランクは後に神聖ローマ帝国に繋がります。
結局西ローマ帝国の冠は東フランクに移り、後のドイツに繋がるわけですね。
中部フランクは後のイタリアに繋がります。
そして西フランクはカロリング朝が断絶して987年にカペー朝へと変わります。
さて、最後のまとめです。
- ガリア地方に住んでいたフランク族メロウィング家のクローヴィスがメロウィング朝を創設
- 名ばかりの王を降ろし、宮宰職を継承してきたカロリング家ピピン三世がついに王に就き、カロリング朝を開始
- カロリング朝のカール(シャルルマーニュ)が絶頂を極め、ついにローマ教皇から戴冠を受け、カール大帝となる
- 840年にフランク帝国は3つに分裂、その後各地でカロリング朝が途絶え、現フランスに繋がる西フランクはカペー家が継ぎカペー朝が始まる