みなさんはリベリアという国をご存じでしょうか。
リベリアは、アフリカにある国です。
そして国旗はこちらです。


これ、どこかの国旗に似てない?



一瞬アメリカかと思った!
そうです、この国旗からもわかるように、リベリアという国はアメリカがつくった国なのです。
「リベリア」は「自由」を意味する英語「liberty」から由来した国名です。
ではこのリベリアという国がつくられた過程を今日は確認していきましょう。
そこには理想と現実、そして悲しい歴史が待ち受けています。


アメリカに連れ去られたアフリカ黒人奴隷
歴史でよく聞く話ですが、北アメリカでは17世紀頃~19世紀にかけて数百万人のアフリカ人がヨーロッパ人によってアメリカ大陸に強制的に連れ去られ、強制労働等をさせられた歴史があります。(アメリカ大陸全体であれば1000万人規模であるとも推計されています。)
これを大西洋奴隷貿易と言います。
人間を人間として扱わなかった、とても悲惨で過酷な歴史です。
今を生きる私たちも知っておかなければならない歴史の影の部分ですが、当時は「人権」といった概念はもちろんあるわけもなく、こういったことが普通に行われていて疑問に思うこともなかったわけです。
それが時代が進むにつてれ人々の間で「啓蒙思想」が徐々に浸透し、この奴隷貿易を非難する流れとなってきました。
実際、イギリスで奴隷貿易が禁止されるのは1807年です。
ただしここでは「奴隷貿易」が禁止されただけで、「奴隷制」は廃止されていないため、完全に法律として「奴隷」が禁止されるのは1833年まで待たなければなりません。
ほかの国も、例えばポルトガルでは1842年に海外領の奴隷貿易全面廃止となりました。
ただ、法律を制定しても急にすべてが無くなるわけではありません。
結局大西洋奴隷貿易の「密貿易」が完全に無くなるのはアメリカの奴隷解放宣言の1865年まで待たなければなりませんし、最後はブラジルで1888年にようやく成立した奴隷制度廃止までかかってしまうのでした。
「ようやく悲惨な奴隷制が終わって良かった」と思うのですが、あまりにも長い間奴隷貿易や奴隷制が行われていたため、その後がどうなるかを想像できた人々はどれだけいたことでしょう。
300年〜400年も続けば、その土地で生きる黒人世代が出てくるのは当たり前ですよね。
あるいは、現地の人たちと混血していることもあるでしょう。
困るのは誰でしょうか・・・?


解放された黒人のための国、リベリアの建国
アメリカ大陸に連れてこられた黒人奴隷たちとその子孫が、「奴隷解放」によって白人に復讐してきたらどうしよう・・・?
元奴隷と現奴隷の間で諍いが起きたらどうしよう・・・?
元奴隷が人種差別が残る社会の中でどうやって貧困層から抜け出せるのだろうか・・・?
奴隷解放の流れが加速する世の中で、「白人側」が考えたのはこういったことでした。
こうして、アフリカ系の人々を元々いたアフリカの地に国をつくってあげて、帰してあげようと考えます。
ここでも白人側の一方的な押し付け感がありますね。
もちろん、黒人側で望んだ人たちもいたことでしょう。
でもそれはアフリカから奴隷で連れてこられた黒人の2世、3世かもしれません。
こうしてアフリカ系の人々をアフリカの地へ帰すことを目的として「アメリカ植民協会」が結成されました。
募金で資金を集め、のちにリベリアの一部となる土地を購入します。
その地の海岸は胡椒海岸と呼ばれていました。
1822年、アフリカをルーツとするアメリカ解放奴隷の移民が始まります。
1847年にはリベリア共和国として独立し、1867年までに約6,000人が移住したと言われています。
首都はモンロビア。
名前の由来は当時建国を援助したアメリカ大統領、モンローからきています。
解放された黒人たちの地を用意し、彼らを故郷であるアフリカに送り込む。
解放された黒人たちが喜んでいるなら、なんとも素晴らしい話ではないですか。
ところが、リベリアとなる土地は「無人」の土地ではありません。
当然、そこに住んでいる先住民がいるわけです。
アメリカから移民したアフリカ系アメリカ人は「アメリコ・ライベリアン」と呼ばれ、その後人口の8%強のアメリコ・リベリアンが、残り90%の先住民たちを支配して、長きにわたる争いが続くこととなるのです。
先住民とアメリコ・ライベリアンの戦い
アメリコ・ライベリアンは元黒人奴隷とはいえ、自由人となった人たちです。
彼らは敬虔なキリスト教徒であり、英語を話し、アメリカ式生活スタイルと価値観をもった人たちでもあります。
そんな彼らが突然リベリアの土地へ行き、新たな支配層として今度は先住民の人々を差別する側にまわるのです。
こうして、アメリカ保護のもとでアメリコ・リベリアンたちはリベリアで主権を維持し、支配したのです。
リベリアの地にはいくつもの部族が住んでいました。
彼らは沿岸部に住んでいたバイ人、グレボ人、クル人、内陸部に住んでいたクペレ人、キッシ人、マンディンゴ人など、ざっと挙げてもこれだけ出てきます。
彼らに対して人頭税を徴収し、私有農園で強制労働させ、アメリカから輸入した主食のコメを高値で売りつけて利ざやを稼いでいたのです。
こうして内政に圧力をかけていた一方で、リベリアの周りはイギリスやフランスが圧力をかけてきます。
イギリスは1882年にバイ人が大半を占めていた地域をシエラレオネとして植民地に併合し、フランスもリベリアの南東部を奪い取りました。
外部の圧力で劣勢に陥ると、アメリカに救援を要請します。
また、先住民たちの反乱が起こり、鎮圧に苦しんだときもアメリカ艦隊を要請しています。
こうしてアメリカに頼りながら独立国を維持していました。
こんな状況で我慢ならないのは先住民たちですよね。
いつまで自分たちは支配され続けるのか。
何度か反乱をしてもうまくいかず。
第二次世界大戦が終わり、アメリコ・リベリアンの子孫の黒人と、アフリカ系黒人の経済格差はさらに拡大していき、関係はさらに悪化していきます。
しかし、いよいよその時がきます。
1980年、クラーン部族のサミュエル・ドウを中心とした軍がクーデターを起こしたのです。
政権側であったアメリコ・リベリアンたちを処刑。
政権を奪取したのでした。
建国から100年以上経ってますが・・・人々の怒りがどれほどだったかわかりますよね。
悲惨な内戦を経たリベリアの今
ところがサミュエル・ドウはその後、独裁をして反感を買います。
一枚岩となっていないリベリアの人々。
国内で部族同士の対立が表面化し、ここから悲しい内戦が始まってしまいます。
第一次内戦(1989年〜1996年)
アメリコ・リベリアン出身のチャールズ・マッカーサー・ガンケイ・テーラー率いるリベリア国民愛国戦線が蜂起し内戦が勃発。1990年にはリベリア全土に拡大。部族同士が対立し、虐殺が行われるようになります。リベリア国民愛国戦線から離脱してリベリア独立国民愛国戦線を結成したプリンス・ジョンソンが登場するなど、泥沼化していきます。政権側はアメリカに助けを求めるがドウ政権が崩壊する事態は避けられず、親米派だったジョンソンにアメリカは肩入れするようになります。アメリカに見放されたドウはナイジェリアに仲介を依頼。しかしこれがジョンソン側に漏れ、結局ドウは捉えられて拷問のうえ処刑されたのでした。
しかしこれで終わりではありません。その後、反テーラーでアルハジ・クロマー率いるリベリア民主統一解放運動の軍事派が武装蜂起し、勝手に大統領をたてたもののそれに反対したテーラー派、ジョンソン派など、様々な派閥が生まれてまたも戦闘が悪化していきました。
1996年、西アフリカ諸国経済共同体の監視下で選挙が実施され、テーラー大統領が誕生。ここに第一次内戦は収束を迎えるのです。
第二次内戦(1999年〜2003年)
テーラー大統領のもと、国を立て直すことができず、その後も不安定な状況が続きました。国内の不満は膨らむばかりです。そして反テーラーの武装勢力であるリベリア民主和解連合や、リベリア民主運動が蜂起。第二次内戦が始まってしまいます。結局アメリカ陸軍や西アフリカ諸国経済共同体による平和維持軍がリベリアに入り、テーラーはナイジェリアに逃亡。ここで政府・反政府勢力の間で和平合意が結ばれて2003年にようやく停戦。国際連合で「リベリア・ミッション」が設立され、国内安定のための支援・監視をされることとなったのです。
ようやく内戦が終わり、2006年にはアフリカ大陸で初の女性大統領エレン・ジョンソン・サーリーフが誕生しました。
しかし内戦の影響で経済の立て直しは道半ば。
そこにエボラ出血熱の流行も重なり、民主化への道に進んではいるもののまだまだ貧困層も多く経済成長は一進一退の状況です。
2018年〜2024年まで、元サッカー選手のジョージ・ウェアが大統領に就任していました。
1995年にFIFA最優秀選手賞と欧州最優秀選手賞を受賞しています。
フランスリーグにも所属しておりフランス語も流暢に話せる、かなり異色の大統領でした。
2024年〜は、ジョセフ・ボアカイが現職の大統領です。
サーリーフ元大統領時代に副大統領を務めていました。
まだ問題が多く貧困から抜け出せないリベリア。
解放された黒人が「自由」を求めてアフリカに戻って抱いた希望は、今後どこへ向かっていくのか。
「黒人」と一括りにするにはあまりにも難しい問題を抱え、様々な出自やアイデンティティをもった人間が1つの国の中で生きていくことの難しさを考えさせられる稀有な国です。
私達はリベリアという国の歴史から学ぶことは非常に多く、そして同じ過ちを繰り返さないためにどうすべきなのか、そしてこれからのリベリアから何を学ぶべきなのか、向き合っていかなければなりません。