近代史★★★/エジプト史★★★/フランス史★★/イギリス史★★
スエズ運河は19世紀に着工されました。
地中海と紅海を結ぶ、今でも大事な運河です。
スエズ運河ができあがる経緯とその後の歴史をみていきましょう。
まずは、スエズ運河の場所を確認しておこう。
このスエズ運河ができるまで、ヨーロッパからインドに向かうのに使われる経路は、陸路またはアフリカの喜望峰をまわって向かう海路しかありませんでした。
地中海と紅海の部分が通れたら、かなり短縮されるんじゃない?
約8000km変わってくるよ
それなら運河を造る価値があるね!
ところが、ここに運河をつくるのはかなり大変だったと言われています。
ナポレオンが目を付けたスエズ運河
「ここをショーットカットして船が通ることができれば、かなり時間短縮できるのでは?なんか、昔の人たちもここを運河として使ってたらしいじゃないか。それがどの場所なのか探してこい。」
実は、ナポレオンは既にスエズ運河の計画を立てていたといわれています。
彼は早速、地質調査団を派遣しています。
昔の人たち、というのは実は紀元前600年頃に記録が残っています。
紀元前521年にはアケメネス朝ペルシアのダレイオス1世治世下、最初の運河が完成したようです。
その後も幾度か荒廃や再建を繰り返したようですが、8世紀頃には砂に埋もれて忘れ去られてしまったとのこと。
そんなスエズ運河をもう一度、ということでナポレオンは目をつけましたが、当時の測量技術では正確に測ることができなかったようで、この話は結局実現しませんでした。
そしてそこからそう遠くない未来に、フランスの外交官フェルディナン・ド・レセップスが再度運河建設を計画します。
スエズ運河の場所を先ほど見ていただきましたが、エジプトの土地です。
この当時のエジプトは、ムハンマド=アリー朝です。
オスマントルコの属領ですが、このときエジプトは半独立状態。
政治等の実権はエジプトが握っていました。
そしてタイミングよく、エジプトの実権はムハンマド=アリーの末子であるサイードがもちました。
実はサイードが小さいころ、レセップスが教育係をしていたのでした。
そのよしみもあってか、レセップスはサイードが実権を握ると、スエズ運河の計画を持ちかけます。
こうして、エジプトとフランスとの間でスエズ運河の計画が現実味を帯びていくのです。
しかし、スエズ運河を造りましょう、そうしましょう、と簡単にはいきません。
地図上は小さく見えますが、ここに運河を通すにはかなりの距離があります。(現在のスエズ運河の全長は約190km。完成当時でも約160kmでした)
工事はもちろん、莫大な資金も必要です。
レセップスはこの大事業について、一応当時の大国であるイギリスやドイツ、ロシア、アメリカなどに事業計画を説明していました。
イギリスはこの当時、大英帝国として海を制覇していました。
そして同時並行で、インドへの道のりに鉄道と航路を組み合わせて開拓していたところでした。
エジプトの都市アレクサンドリアとスエズ間に鉄道をつくったのです。
そんなところに、スエズ運河ができたら自分の事業がご破算になるわけです。
この計画には賛成・参加ををせず、そしてどうせ失敗に終わるだろうとたかをくくっていたようです。
その他の大国もこの事業には参加していません。
1858年にフランスとエジプト双方の代表者を株主とする「国際スエズ運河株式会社」が設立。
フランスを中心に1859年4月、スエズ運河建設に着工。
資金難に直面しながらも、なんとか1869年11月に完成させます。
いくらくらいかかったんだ?
当初の予定は2億フランでした
!?
でも、どの国もこの株式公募に出資しなかったんだよね
誰もうまくいくと思ってなかったのかな…?
結局、不足分はエジプトが引き受けてます。
しかも出来上がってみれば当初予定の倍以上、4億2500万フランかかったそうで、その不足分もエジプトが負担したと言われているよ。
つまりフランスとエジプトが出資者で、株式の大半を占めていたということになります。
なお、この株式会社は以降99年間にわたって運河の経営を管理し、その期間が終わったらすべての権利をエジプト側に渡すということが決められていました。
スエズ運河の完成とイギリスの憂鬱
当時の海はイギリス船が牛耳っていましたから、必然的に船もイギリス船が多くなります。
実際、スエズ運河の利用船の約4分の3をイギリス船が占めてしまう結果に。
つまり、フランスが造った運河をイギリスが使う。
もちろん、利用料を払って。
こんな屈辱的なことはありません。
なんとかならないものか…とスエズ運河完成を目にしていよいよイギリスは焦りはじめます。
株式を手にすることを考えたのです。
レセップスに申し出るも、何を今更、というように断られています。
そりゃそうだよな。元々声かけたときに断ったのに、いまさら過ぎるぜ。
エジプトは?そもそもどうしてそんなに資金負担ができたのかしら?
そうです、キーマンはエジプトになります。
スエズ運河着工の頃は、ちょうどアメリカ南北戦争と重なり、綿貿易の収入が大きく、支払いができたようですが、それが終わるとたちまち収支が悪化します。
追加の株式購入は、いろんな銀行から融資してもらいながらのギリギリのやりくりだったのです。
しかし、そのあとが続きません。
エジプトの株式売却
融資してもらったはいいものの、完成を見届けた後、たちまち高金利で借りたお金の利息支払いに苦労します。
なんと年利12%~27%という高金利です。
これは借金地獄だね…
ついに、スエズ運河の株式を売却しなければならない事態にまで追い込まれます。
「エジプトがスエズ運河の株の売却相手を探しているらしいぞ。」
この情報をいち早くつかんだのが、ロスチャイルド家です。
そして折しもイギリス首相と食事をしているときにこの情報が入ってくるのです。
しかし株式売却の話は、おそらくフランス側にも提案されています。
一刻の猶予もないイギリス。
フランス側はイギリスがこの情報を知っていると思っていないはず。
バレないうちに決めなければなりません。
イギリス首相のディズレリーは、閣議で話し合う時間はないと判断し、直接ヴィクトリア女王に報告をして取引を進めます。
資金の調達は一体どこからするのか?
なんせ大量の株式を買うための資金です。
そこはもちろん、ロスチャイルド家からってことだよね?
そう。でも貸すためには担保が必要。何を担保にしたと思う?
なんだろう…?
答えは、「イギリス政府」です。
とんだ大きな担保です。
イギリスとロスチャイルド家との間で話はまとまりました。
あとはエジプトへの提案です。
エジプト政府はフランスからの無茶な提案に憤慨し、結局1875年、イギリスに全株式を買い取ってもらうことで決着したのです。
無茶な提案って?
エジプト政府を差し出せ、といわんばかりの内容だったようです
こうして、イギリスはスエズ運河の株式44%を得たのでした。
残りの株式はフランスの銀行と民間人によって所有されていたため、イギリスがスエズ運河の筆頭株主になるのでした。
そしてその陰に、ロスチャイルド家が関わっていたのです。
そのあたりのやりとりが詳細に記載されているのがこちら(電子書籍もあります)
イギリスによる支配
こうして、スエズ運河の権利はイギリスとフランスに渡りました。
1888年には全世界の船舶が航行できるようになり、その際に支払う通行料はもちろんイギリスとフランスに入っていきます。
多くの労働者と資金を捻出したエジプトには一切利益はありません。
そして、イギリスはこのスエズ運河を守るという名目で、この運河一帯に自国の軍隊を配備し、エジプトの独立は認めつつも実際は半植民地のような状態でイギリス政府がエジプトを支配していきます。
1956年、そしてスエズ運河はエジプトへ
約束の99年が近づいてきました。
果たして、イギリスとフランスはすんなりとエジプトにスエズ運河の権利を返したのか…?
否、運河そのものを国際的機関の管理下に置くという方向でイギリス政府は裏で準備をしていたのです。
しかし、その目前、エジプトのナセル大統領がある発表をして世界に衝撃が走ります。
「ただ今をもって、スエズ運河を国有化する!」
1956年7月26日、エジプトアレクサンドリアで開催された革命4周年記念式典にて、ナセル大統領は高々と演説したのです。
複雑化していた中東情勢。
ここに至るまでも様々なことがあったのですが、簡単に言うと、エジプトは国内からイギリス軍を退去させたかった。
また、エジプトはスエズ運河を国有化することで、そこから得られる利益で当時建設予定だったアスワンハイダムの費用に充てようと考えました。
もともとは、その建設費の一定部分をイギリスやフランスから融資してもらう話で進んでいたのですが、それを自力でやるという考えです。
これに対し、イギリスとフランスは猛反発。
イスラエルと裏工作をして武力でエジプトを抑え込もうと画策します。
これがいわゆる、第二次中東戦争でした。
エジプトがイギリスとフランスの連合軍に勝てるわけはありません。
事実、エジプト軍は連敗です。
しかし、ソ連がエジプト側についたこと、アメリカが武力で抑える行為について意外にも批判的な立場をとったこと、こういったことが重なりました。
さらに、ソ連が「英仏がただちにエジプトから兵を引かなければ、我々は核ミサイルのボタンを押すことになるだろう。」
こう、脅し(?)たのです。
これにはアメリカも反応します。
「そんなことがもし起こったら、我々もソ連に向けて核ミサイルを発射するだろう。」
世界に激震が走ります。
こうなると、国際世論はイギリス・フランスに目が向きます。
即時撤退し、こんなバカげた核ミサイルの応酬をやめさせよ、となったわけです。
ここに、イギリスとフランスは撤退。
エジプトは見事、スエズ運河の国有化を成し遂げたのです。
時代はもう、武力行使で済まされる話じゃなくなったわけね。
自分たちの利益を守るために何をしてもいいのか、という世界の厳しい目がこの結果に繋がったんだよ
エジプト側からみたスエズ運河国有化の歴史がよくわかる
でも、物事はそう単純にはいきませんね。
スエズ運河の件はひとまず収まりましたが、別にソ連もアメリカもエジプトのことを考えて行動したわけでは決してありません。
裏では大国同士のパワーバランス、別の思惑が必ず絡んでいると思って見なければなりません。
そしてそれは、このスエズ運河の事件だけではないことを、我々は知っておかなければならないのです。
参考書籍
覇権で読み解けば世界史がわかる|神野正史著|祥伝社黄金文庫
中東戦争全史|山崎雅弘著|朝日新聞出版
ロスチャイルド家|横山三四郎著|講談社現代新書