フランス史★★★
世界で有名な美術館の1つであるルーブル美術館。
1日じゃまわりきれないくらい、大きくて壮大な美術館ですよね。
実はルーブル美術館、元々は歴代フランス国王の宮殿でした。
そして要塞としても使われていました。
ルーブル城→ルーブル宮殿→ルーブル美術館
こんな移り変わりです。
途中、ルイ14世がヴェルサイユ宮殿を建設しそちらに宮殿が移ることとなったため、ルーブル宮殿は芸術家たちのアトリエ(住居も兼ね備えていた)に変わっていったようです。
それが最終的にルーブル美術館に繋がるので、なんだかすごい歴史ですよね。
今日は、ルーブル美術館に変わったきっかけと、ナポレオンとの関係を見ていきたいと思います。
市民に開かれた美術館へ
時はフランス革命です。
ルイ16世、王妃マリーアントワネットが投獄され、処刑されたことはあまりに有名です。
市民革命ですから、議会側(政府側)も戦々恐々だったでしょう。
暴動が各地に飛び火し、市民が王宮に押し寄せて略奪とか起きたらどうしよう…!
と、考えるのも無理はないと思います。
なんとか事を収めるための1つの行動が、ルーブル宮殿に所蔵されていた王室美術コレクションを私有財産ではなく国有財産にすることでした。
そして、国有財産になった王室美術コレクションを一般市民に観てもらおう。
当時、上流階級しか鑑賞できなかった美術品が、まさか一般市民が見ることができるなんて夢にも思わなかったことでしょう。
1793年8月10日に、ルーブルは美術館として生まれ変わります。
当初は週3日、一般公開として市民に開放したのです。
これは成功を収めます。
ナポレオン美術館
フランス革命後に現れた有名な歴史上の人物といえば、ナポレオンですよね。
彼は破竹の勢いで隣国に連戦連勝。
占領していった各ヨーロッパ地域の芸術品をルーブルにどんどん運んでいきます。
そしてこれらも一般公開していくのです。
ここは彼の戦略かもしれません。
フランスが勝った証の1つとしてお宝が増えていくこと、目に見えてわかるのでこれは市民のナポレオン熱をヒートアップさせますよね。
ついにはルーブル美術館ではなくナポレオン美術館と、名前が変わってしまいました。
1815年、ナポレオンが完全に失脚するまでのわずかな間でしたが…。
その後、ルーブル美術館に名前は戻りましたが、略奪して持ち帰った美術品のほとんどはルーブル美術館に留まったままでした。
周りから返せと言われても、フランスは応じなかったとか(笑)
今の時代ならとんでもないことになるでしょうね。