イングランド王の家系図② ランカスター朝~テューダー朝まで

さて、英仏百年戦争真っ只中のランカスター朝成立から続きをはじめていきましょう。

★前回の記事はこちら↓★

もくじ

ランカスター朝(3代:1399年〜1461年)

ヘンリ4世

プランタジネット朝の最後の王、リチャード2世には子がいませんでした。

リチャード2世の父の兄弟であるランカスター公ジョンが「リチャード2世の後継者は息子のヘンリ」と主張していました。

そんなジョンが亡くなると、リチャード2世はランカスター家の領地を没収したのです。

これに激怒したのは息子のヘンリです。

フランスにいたヘンリはイングランドへ帰還し、貴族や市民の支持を得てヘンリ4世として即位したのです。

なんとリチャード2世を幽閉してしまいました。

ここからランカスター朝が始まります。

ヘンリ5世

ヘンリ4世の子であるヘンリ5世は百年戦争で活躍し、イングランド優勢の状況を築き、ノルマンディーも征服してしまいます。

ヘンリ5世はこれらの勝利をもって1420年、フランスとトロワ条約を結びます。

この条約で次期フランス王となる権利と、フランス王シャルル6世の娘カトリーヌと結婚します。

これでフランス王の足場を固めたかと思った矢先、1422年に病死してしまったのです。

ヘンリ6世

次の即位したのはヘンリ5世とカトリーヌの子であるヘンリ6世でした。

幼くして即位した彼は、1437年までは摂政が実質的に政権を担っていました。

フランス王位を兼ねていたときもありましたが、最終的にジャンヌ・ダルクの登場などを経て百年戦争はフランスの勝利で終わることとなりました。

そして百年戦争後は精神異常をきたしてしまいます。

タイミングが悪いことに、百年戦争の敗北がイングランド内の戦争責任に火がつき内戦が生じてしまいます。

これが薔薇戦争です。

ランカスター朝はここで一旦終わることとなります。

家系図をまとめておきましょう。

ヨーク朝(3代:1461年〜1485年)

エドワード4世

薔薇戦争で台頭したのがヨーク公リチャードでした。

彼を遡ると、プランタジネット朝エドワード3世にたどり着きます。

そう、英仏百年戦争を始めた王です。

彼の3番目の息子がヨーク公エドモンドです。

そのエドモンドから始まったヨーク家の3代目がリチャードです。

さて、ここからはランカスター家ヘンリ6世の妻であるマーガレットと、ヨーク家リチャードによる後継者争いです。

マーガレットはフランスからきた王妃ですが、夫のヘンリ6世に代わって国政を支え、ランカスター派の中心人物としてヨーク家と対立しました。

しかし1461年、タウトンの戦いでヨーク派が勝利。

リチャードはここで戦死してしまったため息子のエドワードがエドワード4世として即位します。

1469年に味方であったウォーリック伯がランカスター派に寝返ったことによりエドワード4世は一時期亡命し、半年ほどヘンリ6世が復位しますが、結局1471年バーネットの戦い、テュークスベリーの戦いに勝利しウォーリック伯もマーガレット率いるヘンリ6世側の軍も打ち負かしエドワード4世が復位します。

これをもってランカスター朝は完全に断絶しました。

ウォーリック伯とは:薔薇戦争のときにフランス王に即位していたのはルイ11世でした。ルイ11世はエドワード4世よりもヘンリ6世を支持していました。そこでなんとかルイ11世をエドワード4世と同盟を結ばせるために尽力したのがウォーリック伯でした。やっとの思いでルイ11世の義理の妹をエドワード4世と結婚させるところまでもっていく準備ができ、同盟まであと少しのところでまさかのエドワード4世が未亡人と内緒で結婚していたことが判明してしまうのです。これにはウォーリック伯も激怒。エドワード4世を見限ってランカスター派に寝返るのでした。エドワード4世はフランス王よりブルゴーニュ公国寄りだったようです。しかしこのエドワード4世のいわくつきの結婚は息子たちにしわ寄せがいくこととなります。

エドワード5世

エドワード4世死後、息子のエドワード5世が即位するも叔父に幽閉されます。

エドワード4世の弟リチャードが王の廃位を議会に認めさせ、自身がリチャード3世として即位。

エドワード5世とその弟リチャードはロンドン塔に幽閉されました。

彼らには姉であるエリザベスがいました。

彼女が後にテューダー朝初代の王ヘンリ7世の妻になる人物です。

リチャード3世

イングランド内ではこのヨーク家によるきな臭い王位交代や長引く内戦に嫌気がさしてきます。

ここでまた、ランカスター家に期待が集まります。

そして当時フランスにいたリッチモンド伯ヘンリ・テューダーのもとに反ヨーク派が集結し、フランス王シャルル8世もこれに味方します。

満を持して1485年、ヘンリ・テューダーがイングランドに上陸。

リチャード3世を破り、ヘンリ7世として即位。

先ほど登場したエリザベスと結婚すること、つまりランカスター家ヘンリ7世とヨーク家エリザベスの結婚でようやく薔薇戦争に終止符を打つこととなったのです。

ここから始まるのがテューダー朝です。

さて、ヨーク朝の家系図をまとめておきましょう。

テューダー朝(5代:1485年~1603年)

ヘンリ7世

テューダー朝のはじまりはヘンリ7世ですが、彼はランカスター家の超傍流でした。

ランカスター家本家との繋がりは、ヘンリ7世の母方で、その母を遡っていくとエドワード3世に繋がります。

そんなヘンリ7世のうすーい血筋を、妻で補完したのでした。

ヘンリ7世はヨーク家のエドワード4世の娘エリザベスです。

前章の家系図に記載されているエドワード3世の姉です。

こうしてランカスター家とヨーク家が合体し、テューダー朝が始まったのです。

ヘンリ8世

ヘンリ7世が死去すると次男であるヘンリが、ヘンリ8世として即位します。

さてこのヘンリ8世が、歴史の大きなポイントを抑える王となります。

まずこのヘンリ8世が、イングランド史初の絶対王政を実施したと言われています。

そしてなんといってもイギリス国教会の設立ですね。

ローマ・カトリック教会と袂を分かち、ローマ教皇から破門にされながらも実行。

自身の離婚と世継ぎをかけた大一番ですね。

詳しくは過去記事に書いているので良かったら読んでみてください。

ちなみにヘンリ8世とその妻たちは映画化されていたりします。

エリザベス女王へと繋がるアン・ブーリンの生涯が描かれているのが「ブーリン家の姉妹」という作品です。

ぜひ時間がある方は観てみてください。

ナタリー・ポートマン、スカーレット・ヨハンソン、エリック・バナといった豪華俳優陣が演じています。

エドワード6世

ヘンリ8世が亡くなった後、後を継いだのは男子のエドワード6世でした。

唯一の男子で、ヘンリ8世も安心してこの世を去ったかもしれませんが、残念なことにエドワード6世は体が丈夫ではありませんでした。

9歳で即位するものの、実権は母方の伯父であるエドワード・シーモアが握ります。

ところが彼は反逆罪で失脚。

するとノーサンバランド公ジョン・ダドリーが実権を握ります。

そしてエドワード6世は15歳という若さで病死してしまいました。

この後王位を継ぐのはヘンリ8世の長女であるメアリにいくはずでしたが、ここで事件が起こります。

メアリ1世

エドワード6世死後、メアリ1世がイングランド史初の女王になるまでには少し問題が生じました。

それが、ジョン・ダドリーの画策です。

彼はヘンリ8世の姉妹の血筋に目を付けました。

エドワード6世の従姉にあたるフランセス・ブランドンの娘であるジェーングレイを後継者に指名するようエドワード6世に遺言を書かせたのです。

そして自身の息子をジェーングレイと結婚させ、王族に加わろうとしたのでした。

これにはイングランド議会も、メアリもものを申しますよね。

メアリは法に基づく継承の正当性を主張し、ジェーングレイとジョン・ダドリー、ダドリーの息子を斬首刑にするのでした。

ジェーングレイは9日間の女王ともいわれ、16歳で亡くなってしまいます。

イングランド史実上、王位に就いたとはいえない扱いになっていますのでやはりイングランド史初の女王はメアリ1世となるんですよね。

それにしても大人の事情で翻弄されたジェーングレイはかわいそうとしか言いようがありません。

彼女には女王になるような野心はなかったはずなのに。

さて、次に王位に就いたメアリ1世ですが、彼女は生粋のカトリック信者です。

イギリス国教会から180度方向展開し、スペイン王フェリペ2世と結婚し、イングランドをカトリックに揺り戻します。

そんな彼女の治世については別記事に書いていますので良かったら読んでみてください。

メアリ1世とフェリペ2世の間には子がなかったので、メアリ1世亡き後は異母妹のエリザベスに移ることとなります。

エリザベス1世

いよいよエリザベス1世の登場ですね。

彼女が後の大英帝国の繁栄につながる基礎を築いていきます。

エリザベスが王位に就くとは、本人も思っていなかったかもしれません。

なぜなら、エリザベスは父ヘンリ8世の愛人だったアン・ブーリンの子として生まれたからです。

ヘンリ8世は離婚をするにあたりローマ・カトリック教会から離脱し、アン・ブーリンと再婚したものの男子を産めなかった彼女を最後は不義密通の容疑で処刑してしまいました。

エリザベスは、母を父に殺されたということになります。

後ろ盾がなくなり、異母姉であるメアリ1世即位後は、反対勢力に加担した容疑で一時期ロンドン塔に監禁されていたりもしました。

いつ殺されてもおかしくない幼少期だったといえます。

そんな彼女が25歳にイングランド女王に即位しました。

まず、メアリ1世治世にカトリックに向いていたイングランドを、完全にローマ・カトリック教会から独立させようとします。

ここは父のイギリス国教会を踏襲することとしたんですね。

国王至上法を復活させ、1563年にイギリス国教会の競技を明確にした「三十九か条」を制定しました。

対外戦争という点では、スペインとの対立です。

異母姉の元夫フェリペ2世は引き続きイングランドを狙ってきます。

エリザベスに求婚するくらいです。

エリザベスはもちろん断ります。

彼女は自分の立場と政略結婚がどれほど危険なことかわかっていたのでしょう。

「私はイングランドと結婚した」と宣言し、生涯誰とも結婚しなかったことで「処女王」と呼ばれることとなった所以です。

スペインとの戦いで一番大きな転換点といえばなんといっても1588年アルマダの海戦です。

当時のスペインは「太陽の沈まない国」であり、大艦隊をもつ帝国でした。

そんなスペインと極小国イングランドが戦いました。

アルマダ海戦自体は引き分けだったようですが、スペインはその戦いの帰路(アイルランド近海)で大嵐にあい、多くの船が沈没しました。

ここまでを一連の戦争の結果として捉えられたことで、イングランド大勝利として後世の歴史に残っていくのでした。

エリザベスの強運もなかなかですね。

この戦いは、エリザベスが海賊を政府公認として支援してきたことが大きいと言われています。

表立っては認めていませんが、敵国(この場合スペイン)の船や積荷を奪う許可を海賊船に与えて、そのかわり奪ったスペインの銀など一部を分前として王室に納めさせたのです。

これはイングランドに大きな利益をもたらし、後々この資金をもとにイギリス東インド会社設立に至っています。

その他にも、エリザベスは救貧法を制定したり、オランダ独立戦争でオラニエ公ウィレム1世側につき勝利に導く等、後の大英帝国の礎を築いた女王として歴史に名を刻むのでした。

ところがエリザベス1世には子がいませんよね。

このあとテューダー朝からスチュアート朝へ移るのですが、彼女の後継の話は次の回にて話していきたいと思います。

参考図書

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