【イギリス王朝】テューダー朝のはじまり

イギリス史★★★

今日はイギリスのテューダー朝に関する歴史をざっくり掴んでいきましょう。

テューダー朝はヘンリ7世からはじまり、エリザベス1世まで続きます。

そもそもなぜテューダー朝が始まったのか。

時代は英仏百年戦争後のバラ戦争です。

もくじ

バラ戦争~ランカスター家V.Sヨーク家~

1337年から始まったとされる英仏百年戦争は、1453年に終わります。

結果的に、フランスが勝利した戦争でした。

イギリス(当時はイングランド王国)はフランスのカレーという地以外の領地を無くしてしまいます。

ちょうどイギリスとフランスのドーバー海峡を挟んだところにある場所ですね。

ちなみにこのカレーの地は、1558年の第六次イタリア戦争でギーズ公フランソワが奪還するまでイングランド領として続きました。(カトー・カンブレジ条約)

さて、英仏百年戦争に敗れたイギリスはその後どうなったのか。

今度はイギリス内部でバラ戦争が起きます。

簡単に言うと、王位継承権をめぐる争いです。

バラ戦争というのは後世に名付けられたもので、ランカスター家が赤バラ、ヨーク家が白バラを記章としていたためだよ。

1455年~1485年まで、30年続きます。

イングランド貴族ランカスター家と、イングランド王リチャード3世を擁する貴族ヨーク家が争うのですが、結果的に両家共倒れとなります。

とにかくバラ戦争は登場人物が多くて頭が混乱する戦争です。

内乱が3次にわたり、途中でランカスター朝ができたり、ヨーク家が優勢になったり。

そして結果どうなったのか。

まさかのランカスター家の傍流であるテューダー家ヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)がイングランド王に即位したのです。

テューダー朝のはじまり

ヘンリは1485年にヨーク家の子女と結婚し、ヘンリ7世として即位します。

ここからエリザベス1世までの治世をテューダー朝といいます。

1509年ヘンリ7世が死去した後は、息子であるヘンリ(ヘンリ8世)が即位します。

彼は世継ぎを残すために結婚離婚を繰り返し、そのためにローマ教皇から破門までくらってしまいますが、イギリス国教会をたちあげてカトリック世界から離脱します。

待望の男子エドワード6世が後を継ぎますが、15歳の若さで亡くなってしまいます。

そこで王家の親族になろうとしたノーサンバランド公が、自身の息子をジェーン・グレイと結婚させ、彼女をイギリス女王に仕立てたのです。

これに反対をしたのはヘンリ8世の長女であるメアリ1世でした。

わけもわからず王女に仕立てられたジェーン・グレイは16歳の若さ、在位9日でメアリ1世により処刑されてしまいます。

その後メアリ1世がイングランド史初の女王として即位し、国教会ではなくカトリックを推進。

1558年に病死します。

そして時代はエリザベス1世に移るのでした。

エリザベス1世の治世

エリザベス1世はイギリス史でいうと大英帝国の基礎を作った、夜明け前といった時代にあたると考えられます。

この頃ヨーロッパはスペインが大国として君臨していました。

大航海時代であり、スペインは各地に植民地をもち、まさに太陽の沈まない国として繁栄していました。

そんなスペインにエリザベス1世はケンカを売り続けます。

海上で覇権争いが激しくなります。

エリザベス1世は海賊を味方に取り込みます。

もちろん表向きは海賊を容認していませんが、これをうまく使って裏で操作していきます。

スペイン船や植民地の拠点を襲撃していき、これに怒ったスペインが当時無敵と言われたスペイン艦隊をイギリスに向けて出航させます。

有名な、アルマダの海戦です。

エリザベス1世はここでも海賊をうまく使い、見事スペイン艦隊を蹴散らします。

ここでの敗北を機にスペインは衰退していきます。

エリザベス1世はこのほかにも、救貧法やイギリス東インド会社の設立等、イギリス繁栄の礎を築いていったのです。

テューダー朝からスチュアート朝へ

エリザベス1世は生涯誰とも結婚せず、子もいなかったため、王位はどうなったのか。

先ほどの家系図を見ていただくとわかるのですが、王はスコットランド王家から迎え入れられます。

ヘンリ7世の子マーガレットに繋がりますが、スコットランド女王メアリ・スチュアートの子であり、スコットランド王ジェームズ6世です。

彼はイギリス王ジェームズ1世として即位し、ここにイングランドとスコットランドが同君連合として成立します。

ちなみに、メアリ・スチュアートはエリザベス1世を暗殺しようとして処刑されています。

自分はなれなかったけど、息子がイギリス王になるとはなんだか皮肉な感じがしますね。

エリザベス1世についてもう一つ。

アメリカのヴァージニア州の名前の由来はエリザベス1世からきていると言われています。

1583年、エリザベス1世がスペイン領フロリダより北の地域に植民地を建設する権利を寵臣ウォルター・ローリー卿に与えました。

現在のバージニア州あたりを「バージニア」という名前にしたのは、「バージン・クイーン」(生涯結婚しなかったエリザベス1世の渾名)に因んでローリーあるいはエリザベス1世が提案した可能性があると言われています。

ちなみにローリーは北アメリカの大西洋岸に遠征隊を派遣し、植民地を設けようとしますがこれは失敗に終わっています。

後にヴィクトリア女王も登場しますが、彼女の治世は大英帝国の時代です。

植民地にヴィクトリアロードという名前が多く残されていますし、ヴィクトリアの滝という有名な場所もそうです。

イギリスがどれほど大きな力を誇っていたか、物語っていますね。

以上、イギリスの歴史を大まかに見てきました。

このあたりのお話しを時代順に並べましたので、よかったらこちらの記事も参考にしてください↓

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