アンジュー帝国、ヘンリ2世は王であり家臣〈1150年〉

中世ヨーロッパ史★★★/イギリス史★★/フランス史★★

今回の主役はヘンリ2世。

時代は12世紀、西暦1150年頃です。

場所は現フランス・イギリスの両国に跨ります。

もくじ

ヘンリ2世の家系

ヘンリ2世の祖父は、ノルマン朝第3代国王のヘンリ1世です。

(ちなみに、英語読みはヘンリで、フランス語だとアンリ、ドイツ語だとハインリヒになります。)

ヘンリ1世の子に、娘のマティルダがいました。

彼女は元々神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の妃でしたが、死別してフランスアンジュー伯ジョフロワと再婚しました。

その二人の間に生まれたのが、ヘンリ2世です。

いろんな領地、引き継ぎます

ヘンリ2世は1150年に父ジョフロワからノルマンディー公を引き継ぎます。

翌年1151年に父ジョフロワが亡くなり、アンジュー伯領も引き継ぎます。

さらに1152年には、アキテーヌ公領を有するアリエノール・ダキテールと結婚します。(彼女は元々、フランス国王ルイ7世の王妃でした。)

アキテーヌ公領は現在のフランスでいう南西部一帯の広大な領地です。

結婚により、ヘンリ2世も共同統治者になったのです。

ここまででもかなりの領地を有しているのですごいのですが、ここからさらにヘンリ2世は突き進みます。

イングランド王の王位継承権あり!

ヘンリ2世は血筋を理由に、イングランド王位継承権を主張し、ノルマン朝第4代国王スティーヴンと対立します。

スティーヴンはフランス貴族のブロワ家出身で、後継者がいなかったこともあって最終的にはスティーヴンが亡くなったらヘンリ2世が王位を引き継ぐという条約を結びます。(ウィンチェスター条約)

こうして、スティーヴンの死後1154年にヘンリ2世はプランタジネット朝初代国王として即位します。

ヘンリ2世は先ほど紹介した通り、ノルマンディーとアンジューとアキテーヌを有しており、イングランド王になってからは大ブリテン島とアイルランド島、ヨーロッパ大陸のブルターニュも有し、フランス国内では最大領主になりました。

この広範囲におよぶ支配領域は、アンジュー帝国と言われるようになります。

「逆転のイギリス史」玉木敏明著・日本経済新聞出版社 P16より引用

ちなみに、下記白地図は現在のフランスですが、当時のイメージでいくとざっくりこんな感じです。

白地図専門店よりフランス共和国を使用https://www.freemap.jp/

ただ、みなさまお間違いなく。

この時点では“イギリス”という島国はありません。

あくまでフランス領地があり、イングランド地方も支配している、という感覚だと思ってください。

実際、ヘンリ2世は人生の大半をフランスで過ごしています。

フランスからイングランドを統治しているのです。

矛盾

さぁ、ここで変なことが起きているのにお気づきでしょうか。

ヘンリ2世はイングランドでは王です。

対外的には王の立場としてふるまいます。

しかしフランスに入れば広大とはいえフランス王の下で領地を支配する、いち家臣になるのです。

さっきまで王同士で話をしていたかと思うと、別の場面では家臣としてフランス王に頭を下げる、というわけわからない状態です。

しかも妻のアリエノールはフランス王ルイ7世の元妃…ややこしいしどう気遣えばいいのか、考えただけで嫌になりますね。

この複雑な関係は、後の話になりますが1339年に勃発するフランスとの百年戦争の要因を作ってしまう起点になるのです。

また、この広大な領地と強大な権力を得たヘンリ2世は、晩年にかけて家庭内問題で大変な思いをすることになります。

家庭内問題勃発

元々次男に与える予定であったアンジューの土地の一部を、ヘンリ2世は末っ子のジョンへ渡すと言い出します。

これに怒った次男ヘンリ若王は、三男リチャードと四男ジェフリを味方につけ、さらにヘンリ2世の妻(アリエノール)とフランス王ルイ7世、スコットランド王ウィリアム1世もヘンリ若王に加担し、ヘンリ2世と対立します。

しかしここはなんとかヘンリ2世が勝ち抜きます。

その後ヘンリ若王が亡くなってしまい、四男ジェフリも亡くなります。

三男リチャードが1189年にフランス国王フィリップ2世と手を組んで、父に宣戦布告します。

そしてこの後、まさかのジョンまでもがリチャード側につき、ヘンリ2世を裏切ってしまうのです。

ヘンリ2世はこれにショックを受け、失意のうちに亡くなってしまいます。(1189年)

この後、リチャード1世、ジョンと王位は継承されますが、かつての領地はみるみる縮小し、百年戦争が終わる頃にはヨーロッパ大陸の支配地はカレーのみに。

イギリスの誕生

でも、こうして島国“イギリス”が誕生するのです。

ちなみに、ジョン王のときに次々と領地を取られてしまったことにより、「失地王」や「欠地王」と言われるようになってしまいます。

ただ、この名には他の理由も考えられるようで、もう(末子の)ジョンまで相続で与えられる土地は無い、というところからつけられとも言われています。

いずれにせよ、ジョンのときにかなり大変な状況が続いたと思われます。(この後、国王の名前でジョンという名をつけることはなくなったとか…縁起が悪いと思われたのかもです。)

しかしこのこと(ヨーロッパ大陸の領地を失うこと)が“イギリス”を形成していくのであり、無茶苦茶する王に対して“大憲章(マグナ・カルタ)”をつきつけることに繋がるのです。

大憲章は、国王の徴税権の制限や法による支配を明文化し、イギリス立憲制の支柱とされました。

ジョンのときは認めなかったですが、この後イギリス立憲政治がどんどん作られていきます。

そして時代は百年戦争、薔薇戦争へと繋がっていきます。

いかがでしょうか。

束の間の帝国を築いたヘンリ2世。

領地は縮小しましたが血筋はこの後続いていきます。

でも、ヨーロッパ大陸ではこの後「〇〇〇継承戦争」といったものがとにかくたくさん出てきます。

一番有名なのはハプスブルク家の近親関係での婚姻かと。

一度大きくなり、いろんなものを手に入れると自分たちのものを手放したくなくなりますよね。

結婚により他家に取られないように必死に守っていたのだと思います。

それが裏目に出てスペインハプスブルク家は5代で終わってしまいます。

この話はまた別の機会に。

参考書籍

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