民族史★★★/ローマ帝国史★★
ゲルマン人の大移動、必ず習うところですよね。
でもこれもなかなかイメージがつきにくい…
375年(わたしは「ミナゴロシ」という語呂合わせで覚えてました…)ゲルマン人の大移動!以上!
高校生のわたしは完全暗記で終わってました。
ダメですね。
ひとまず調べてみました。
そもそもこの大移動のきっかけ、カスピ海の北あたりにいた遊牧民フン族からきてるとのこと。
そしてこのフン族の移動のきっかけは、もっと東の東匈奴の移動があったから、と言われています。
内モンゴル辺りにいた東匈奴が西匈奴を滅ぼし、移動。
その影響でフン族が西へ移動、玉突き的にゲルマン人が押し出された、というイメージです。
この大移動はゲルマン人の一派、ゴート人たちが主役です。
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ゴート人はもともとどのあたりにいた?
ゴート人はバルト海南部に住んでいたようです。
ゴート人たちがフン族の侵入に合わせて移動をしはじめました。
まずゴートについて、東と西があるんですよね。
でもこれ、何がどうなっていくのかややこしいです。
時系列でいきましょう。
西ゴート人
まず375年、フン族は東ゴート人を征服します。
東ゴート人は黒海北岸に定住していた民族です。
それを知った西ゴート人は戦々恐々!
376年、西へ向かい、ローマ帝国内に侵入します。
でもここはうまくいかず、そのままガリア(今でいうフランス)へ撤退、移動します。
ここに移動した後、415年に西ゴート王国(首都トロサ)を建設します。
469年頃にはイベリア半島をほぼ支配します。
イベリア半島は、現在のポルトガル、スペインがあるヨーロッパの一番西の突き出た部分です。
一方東ゴート人はどうなったのでしょうか。
東ゴート人
先ほどの通り、フン族に征服された後、一部の生き残りがフン族と行動を共にします。
5世紀末にフン族が衰退することにより、東ゴート人のテオドリックが部族を率いてローマ(イタリア)に侵入します。
そしてそのまま493年に東ゴート王国を建国してしまいます。
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)に滅ぼされる555年まで、8人の王が続きました。
ローマはどうなってる?
たびたび侵入を受けてるローマ、どうなってる?という感じですが、そうですよね、まず395年に東西ローマ帝国に分裂します。
476年に西ローマ帝国は滅亡しました。
その後は東ゴート王国が建設されたり、フランク王国やランゴバルド王国が建設されたりと、フランク王国が大きくなってくる800年頃までは王国が各地にできる状態が続いていきます。
一方、西ゴート王国は711年まで続きます。
後ウマイヤ朝に滅ぼされます。
ここからしばらく、イベリア半島はイスラームの国が続きます。
フン族についても最後確認しておきましょう。
フン族は東ゴート人の地域を征服してから、アッティラ王のもとで栄えます。
一時はガリアあたりまで向かい、イタリア半島にも侵攻しています。
でも結局はアッティラ王の死と共に衰退し、454年頃には歴史の舞台から消えていきました。
最後に
と、いうことで、フン族の移動はゲルマン人の移動のきっかけとなり、それはやがて西ローマ帝国の崩壊に繋がっていくことがわかります。
また、実はこの大移動がきっかけで、アングロ=サクソン人がブリテン島に渡っています。
これが後々のイギリス人のルーツに繋がりますし、そういった意味ではアメリカにも繋がりますね。
それにしても、我々が使うゲルマン人の「大移動」は、受ける側からすると迷惑な話ですよね。
なので、国や地域によってはゲルマン人の「大侵入」というそうです。
見落としがちな視点ですね。
世界史を知るうえでは、それぞれの側に立った見方も大事だと気づかされます。
例えば十字軍もそうです。
ヨーロッパからみればなんだか正当なことをしているように思えますが、元々シリア・パレスチナを支配していたイスラームからすれば何度もやってくるしつこい軍だと、迷惑千万扱いです。
イスラーム側からは「フランクの侵攻」と呼ばれていたようです。
このあたりはまたじっくり書きたいですね。