アメリカ史★★★/フランス史★★
アメリカ大陸が発見され、後に北アメリカ大陸でアメリカという国ができます。
当初は「東部13州」といわれる東海岸地域一帯のみでした。
それが、西へ西へと領土を広げ、ついには太平洋側までたどり着きます。
では、どのように領土拡大していったのでしょうか。
未開の地だから好き放題西へ行けたんじゃないの?
ネイティブアメリカンといわれる、当時はインディアンの土地を無理矢理奪っていったんじゃないのかな?
そもそも発見したのはスペインから派遣されたコロンブスだよな?てことはスペインの領土だったのか?
そうです、色々と疑問は尽きません。
実は北アメリカ大陸は、当時のヨーロッパ大国がバラバラに領有していました。
フランスがルイジアナ一帯、イギリスがカナダ周辺、スペインがメキシコ周辺、オランダがニューアムステルダム周辺を領有していたんだよ。
ニューアムステルダムは現在のニューヨークです。
それぞれが領有していた土地ですが、今回はアメリカの領土拡大のきっかけとなった、フランスのルイジアナ一帯にスポットを当ててみていきましょう。
ルイ14世から続くフランスの財政難
アメリカの独立宣言は1776年7月4日ですが、もう少し前のフランスについて確認します。
時代はルイ14世が国王の頃です。
彼は太陽王と言われた絶対王政を象徴するような歴史的有名なフランス王です。
そんなルイ14世ですが、戦争は下手の物好きでした。
度重なる戦費がフランス財政を逼迫させます。
戦えど得るものが大してなく、戦争をするたびに借金が増えていきます。
当時のフランスの国家収入が2億6000万リーブルだったのに対し、利子だけで2億リーブルに迫る金額だったとか。
この尻ぬぐいをさせられたのが、ルイ16世でした。
フランス革命がおきて、ギロチンで殺されてしまった人だね。
ルイ16世は必死に財政立て直しをはかります。
彼はスイスから銀行家であるジャックネッケルを招きます。
彼を財務総監という役目につけたのです。
ネッケルは当時の徴税方法にメスを入れようとします。
それは、民衆から徴税する仕組みがかなり腐敗していたからでした。
通常は、国王が各官僚に命じて、民衆から税金を徴収していれば健全性は保たれるといわれています。
しかし、国王が各官僚をコントロールして徴税をせずに、徴税請負人に任せて民衆から税金を徴収すると、そこに腐敗が生じやすくなってしまいます。
徴税請負人って?
お金を持っている貴族や特権階級の人たちが、前払いのような形で国王へ税金額分を渡すんだよ。その代わり、徴税請負人は民衆から税金を徴収する権利を国王から与えられる。つまり、徴税請負人は好き勝手民衆からお金を巻き上げることができるようになっちゃうってこと。
確かにこれは腐敗が起きやすい気がする・・・
ネッケルはこの徴税請負人制度にメスを入れます。
ところが、当然のように、フランス貴族や特権階級の人々は猛反発です。
埒があかない状況に、ネッケルはある決断をします。
「この財政難を見よ!ここにメスを入れないと破綻するんだ!」
と、まさかのフランス国家の歳入と歳出の状況を公開したのです。
この内容に民衆たちは驚きます。
「王家の支出が2500万リーブルだと・・・!?」
当時の民衆の平均年収が100リーブルだったのに対し、王家のこの支出額をみて一気に反発が起きました。
これにはルイ16世も、「ネッケル、何してくれてるんだ!!」と怒り、そのままネッケルを罷免してしまいました。
しかし一度バレたことはもはや止められません。
ネッケルを罷免した行為に対し、民衆は反発します。
これを受けて一度はネッケルを復職させましたが、結局また罷免してしまいます。
この度重なる行動に対し、フランス民衆は立ち上がります。
これが、フランス革命へと繋がっていくのです。
ナポレオンが手放したルイジアナ一帯
革命が起きたから財政が黒字になるわけではありません。
相変わらずの赤字財政に、後のナポレオンも頭を悩ませます。
そんなナポレオンが考えたのが、徴兵制でした。
当時は、戦争といえば傭兵を雇うのが一般的です。
しかし傭兵というのは莫大なお金がかかるのと、愛国心なるものがないので惰性で戦うケースも多かったようです。
お金がかかるわりに戦いは適当ってやつだな。
そこで、フランスの民衆から兵を集めます。
この徴兵制はコストが格段に安くなります。
また、自分たちの生活を守るために、民衆たちも懸命に戦います。
後の、国民国家の芽生えになります。
これをもって、ナポレオン率いるフランス陸軍は当時破竹の勢いでヨーロッパを侵略していくのです。
しかし栄光を極めた者は必ず衰退するという流れには逆らえません。
戦争が長引くとやはりお金も無くなっていくものです。
武器や食糧調達にまわすお金がどんどん厳しくなっていきます。
ヨーロッパがナポレオンを中心に戦禍に見舞われている頃、アメリカはヨーロッパからの干渉がなくなり着々と力をつけていきます。
そんな折、おいしい話が舞い込んできます。
一気に領土を拡大するアメリカ
北アメリカ大陸のミシシッピ川以西のルイジアナ一帯は長年スペイン領でした。
アメリカは、ここをどうにか開拓できないか考えていました。
「もはやスペインなんて二流国家だ。圧をかけて奪ってしまおう」
と、考えていたようですが、これがなんと知らない間にフランス領になっていたことが判明。
1800年には既にフランスのものになっていたようで、アメリカからすると当時のフランスはナポレオン政権下の脅威国家です。
ミシシッピ川を境に国境を分けていますが、アメリカ側はミシシッピ川を通商路として使用してました。
これだと正確にはアメリカが国境を侵していることになるので、ナポレオンからそれを理由に戦争を仕掛けられたらたまったもんではありません。
できれば戦争はしたくない。
さてここで、駐仏大使顧問のジェームズ・モンローを通じて交渉に出ます。
先手を打っておこう、と。
「あの、ミシシッピ川の航港権と河口港のニューオーリンズを買い取らせてもらえませんかね…?」
するとナポレオン側(仏外相タラーレン)からまさかの返答が。
「いいよ、1500万ドルで購入してくれるならミシシッピ川より西のルイジアナ全部あげるよ」
まさかの破格の1500万ドル!!!!
これにはアメリカも歓喜の声をあげたとか。
こうして1803年、アメリカはフランスからルイジアナ、アイオワ、テキサスなど15州にまたがる広大な土地を購入したのです。
地図上でみるとこんな感じです↓
ちなみに、いまのルイジアナ州はこのあたりです↓
なぜ、ナポレオンはこんな金額で手放したのか。
この頃、フランスはイギリスと戦争をする直前でした。
戦争となれば、イギリスが海上封鎖で応じてくる可能性が高いと予想していました。
海に出れないとなれば、アメリカ大陸の領地はどちらにせよ手放さざるを得ない。
どうせそうなるなら金に変えてしまおうと。
それに、今までの戦争による財政難も膨れ上がっています。
とにかくお金が必要。
こうして、仏·米お互いの利害が一致。
結果的には、アメリカ有利の交渉でしたが。
アメリカはこうして一気に領土を西に拡大し、1819年にはスペインからフロリダも購入、南にも領土を拡大していったのです。