アメリカ南北戦争と綿貿易〈1865年〉

アメリカ史★★★

今日は『詳説世界史(改訂版)』のP275~P276にかけて書かれている、アメリカ南北戦争について寄り道してみましょう。

西部の開拓は南部と北部の対立を激化させた。南部諸州が、連邦会議における優位を維持するため、西武に奴隷制を拡大しようとしたのに対して、北部諸州は対抗して、自由州を拡大しようとしたためであった。当時の南部では、18世紀末にホイットニーが綿織り機を発明して以来、イギリスなどへ綿花輸出が拡大し、イギリスとの自由貿易を求める声が高まっていた。また南部は奴隷制の存続や州の自治を強く要求した。これに対し、産業革命がすすみ資本主義が発達しはじめていた北部は、イギリスに対抗するため保護関税政策と連邦主義を主張するとともに、人道主義の立場から奴隷制に反対する人が多かった。1848年には女性の参政権を求める運動が始まったが、この運動は奴隷制廃止運動とも協力していった。

『詳説世界史(改訂版)』P275一部抜粋  発行所:株式会社山川出版社
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<入口>アメリカ南北戦争とは

有名すぎて今更ですが、念のためにおさらい。

南北戦争は1861年~1865年にかけて起こった、アメリカの内戦です。

戦死者約62万人(北部約36万人・南部約26万人)におよんだアメリカ史上最大の内戦でした。

リンカーンが奴隷解放宣言をして終息。

後にリンカーンは暗殺されますが、「人民の、人民による、人民のための…」といったフレーズ(?)はあまりにも有名ですよね。

黒人奴隷が解放されて、万人に自由と平等をもたらした!!…そんな感じで覚えた人も多いのではないでしょうか。

そして記憶はそのまま、大人になったような気がします。

私もその一人。

そもそもこの、南北戦争の背景について、もう少し理解が深まれば見方も変わってくるのではないでしょうか。

南北戦争に至る過程を見ていきたいと思います。

舞台はまずインドへ

インド!?関係あるの??

そうそう。実は南北戦争の一因に、綿貿易が絡んでいるんだよ。

まず綿について、インドを舞台に話を進めていきましょう。

綿(ワタ)は植物から取れるのですが、原産は大きく4つの種類に分けられます。

そのうちの2種類がインド原産です。

約7000年前にインドで木綿が栽培されていたことが判明しています。

紀元前2500年頃にはインダス川流域にあるモヘンジョダロ遺跡から綿織物を生産していた痕跡も見つかっています。

そんなインドと違って、ヨーロッパ大陸の方では動物から衣服を作っていました。

毛皮や鳥の羽毛を利用していたのです。

特にヒツジは貴重な羊毛を得るための家畜として飼育されていたようです。

残念ながら寒冷な草原地帯では綿は栽培できません。

そのため、植物から衣服ができるなんて、想像もできなかったことでしょう。

そんなヨーロッパの人々が、時代を下ってこの綿(ワタ)という植物に出会うのです。

世にも不思議な綿との出会いが産業革命へと繋がっていく

それまでヨーロッパで主に使われていたのは羊毛などを使った毛織物でした。

それが、インドでは植物から取れる繊維で布が作られている。

イギリス東インド会社が貿易を通して、このインド綿織物をヨーロッパに運び込みました。

17世紀後半、インドの綿織物は「インドキャラコ」と呼ばれ、イギリスのみならずヨーロッパ諸国がこぞって輸入しました。

軽くて肌触りのいい綿というものに人々は魅了されたようで、だんだんとヨーロッパ地方に浸透していきました。

それとうって変わってイギリスの毛織物業者は打撃を受けてしまいます。

すると法律が制定され、成立してしまうよ。

1700年:キャラコ輸入禁止法

1720年:キャラコ使用禁止法

え!使用禁止までしちゃうの!?

そうなんです。

でも、混紡や藍色の綿は禁止されておらず、また、染色されていない白い綿の輸入は禁止にならなかったので、引き続きインドキャラコのニーズは続いたようです。

うーーーーん…と悩んだイギリス。

さてどうしたものか

テーマによると、産業革命に繋がるんだろ?

そう、イギリスのおもしろいところってこういうところなんだよね。

イギリスはここから、綿からできた布を輸入するのではなく、材料の綿(ワタ)だけをインドから輸入しようと考えたのです。

綿布は自国で作っていこう、と。

このニーズの高い綿布を、どうすれば早く、大量に生産できるのか?

そこで考え出されたのが「飛び杼(とびひ)」という道具でした。

詳説世界史図録(第3版)山川出版社より

簡単に言うと、布を織るためには緯糸(よこいと)を通す作業が必要なんですが、それがとにかく大変。

これを素早くできるようにしたのが、飛び杼です。

よし!布を早く織れるようになったぞ!!さぁ、糸をおくれ!

と、今度は綿から糸を紡ぐのが間に合わなくなります。

なんとか早く糸を紡ぐことができないか。

そこで登場したのが紡績機です。

このようにして効率化できるようになり、それに伴って分業が進んでいきます。

工場はどんどん大きくなり、時代は18世紀後半。

石炭を利用した蒸気機関の登場で事態はさらに一変します。

大工場での大量生産が可能に。

産業革命です。

ここを分岐点に、今まで圧倒的な地位を占めていたインドの伝統的な織物業が大打撃を受けるとこに。

もはや安くて大量に生産できるイギリスに太刀打ちできなくなってしまったのです。

舞台はアメリカへ

引く手あまたの綿織物。

もはやインドの綿だけでは足りなくなってしまいます。

ニーズが加速すればもっと作って、もっと輸出する。

イギリスが次の綿の栽培地として目をつけたのが、アメリカです。

衣服は年がら年中ニーズがあるので、安定的に供給できる綿は、アメリカにとってもありがたい存在だったようで利害が一致。

ここに、アメリカの綿栽培のプランテーションが始まっていくのです。

舞台は南部アメリカ。

すると、広大な土地に栽培された綿を、今度は収穫していかなければなりません。

そこで生じる弊害が、人手不足。

しかも綿の収穫はこの頃はまだまだ手作業でしたから、重労働です。

もうおわかりかと思いますが、この重労働に対する人手不足を解消するのに、アフリカから多くの黒人奴隷が連れてこられて使われたのです。

ここからは三角貿易です。

アメリカで栽培された綿→イギリスへ輸出。

イギリスで綿製品ができあがる→アフリカに輸出

アフリカの黒人奴隷たち→アメリカに連行

南北戦争、奴隷解放宣言の足音が近づいてきましたね。

保護貿易を求める北部、求めない南部

綿の輸出で大きく経済発展したアメリカ南部。

一方で、アメリカの北部は工業が主産業でした。

これを守るために、イギリスとの貿易の中で保護貿易をしようと考えるわけです。

つまり、イギリスから輸入される工業製品に高い関税をかけようと。

そうなるとイギリスももちろん輸入品に高い関税をかけるでしょうから、イギリスに輸出をしているアメリカ南部の人たちからしたら保護貿易は反対なわけです。

自由貿易にさせろと。

ついに1861年、南部諸州は連邦からの分離を決定してアメリカ連合国をつくり、別の大統領を選んだのです。

ここに、南北戦争が勃発することになりました。

南北戦争の攻防

アメリカ北部はなんとしてもこの分離を抑えたい。

内戦は激化していきます。

北軍は南部の経済の拠り所、綿の輸出港を取り押さえ、輸出自体を封鎖したのです。

当の南部諸州は、これはこれで綿の輸入をしているイギリスが困るだけだと。

そうなればイギリスが南部の味方をして援軍を出してくるはずだと考えたのです。

業を煮やした北部のリンカーン大統領は別の策を出します。

これこそが奴隷解放宣言です。

そう、「人道」を振りかざしたのです。

黒人奴隷を輸出して、人として扱わず、プランテーションで重労働をさせている。

こんなんでいいんですか?イギリスはこれを認めるんですか?

こういった内容を国内外にアピールしたわけです。

これにはさすがにイギリスも南部支援をするわけにはいきません。

時代は19世紀後半です。

昔のように「人」を人とみなさない風潮はこの頃にはかなり問題となってきたこともあったでしょう。

北軍は1863年のゲティスバーグの戦いで南軍に勝利。

そしてリンカーンによる奴隷解放宣言がされたのです。

なんかちょっと思っていたのと違っていたなー

いろんな利害が絡んでの南北戦争だったことがわかってくるね。

宣言したからといって、すぐに差別や重労働がなくなるわけではなかったでしょう。

黒人奴隷の貿易は禁止されたものの、アメリカに根強く残る黒人差別はいまもなお問題となっています。

綿の後日談

アメリカ南北戦争を機に、綿の生産は世界的に不足してしまいます。

そこで新たに綿の栽培地になったのが現在の中央アジアに位置するウズベキスタンです。

綿栽培には大量の水が必要です。

近くにあったアラル海という湖、ここから水を引いていたようですが、現在のアラル海を見てみてください。

これが、人類の発展および大量生産・大量消費と引き換えに失ったものです。

こういった歴史や現状を知ったうえで、我々も消費者としての行動を考えなければなりませんね。

参考図書

逆転のイギリス史 衰退しない国家 【玉木俊明著・日本経済新聞出版社】

世界史を大きく動かした植物【稲垣栄洋著・株式会社PHP研究所】

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