UK(=グレートブリテン及びアイルランド連合王国)は、1066年のノルマン・コンクエストから始まるとされています。
このノルマン朝が、現在のイギリス国王へつながっていくのです。
では、それよりも前のイングランドはどうなっていたのでしょうか。
少し遡って、ノルマン・コンクエストまでの歴史をみてみましょう。
辺境の地 ブリテン島
もともと現在のUKの地は、遠くはフェニキア人が交易を行っていた地の1つに過ぎませんでした。
錫の取引があったようです。
そんな地が歴史上「ブリタンニア」として登場するのは共和政ローマの時代であり、かの有名なユリウス・カエサルの遠征により属州となったときでした。
ユリウス・カエサルのブリテン島への遠征は紀元前55年〜前45年頃でした。
そしてローマの属州となり、ブリタンニアと呼ばれるようになります。
当時、ブリテン島にいた人々はケルト人でした。
ケルト系ブリトン人は、409年までローマに支配されたのでした。
この支配が終わるのは、ゲルマン系アングロサクソン人のブリテン島進出でした。
アングロ・サクソン人の進出
ブリテン島にゲルマン系民族がわたったのは5世紀頃です。
そのゲルマン系民族が、ザクセン人といわれています。
彼らがブリテン島に上陸した後、ケルト人を倒して7つの有力な家系が、それぞれの地で王国をつくりました。
それがいわゆる「アングロサクソン七王国」です。
ギリシア語で、ヘプターキー(七つの国という意味)という名でも知られています。
そして同時に、キリスト教も持ち込まれたのでした。
601年にはカンタベリ大司教座も置かれました。
ウェセックス家の台頭
そんな七つの王国の中で、力をつけてきたのはウェセックス家でした。
彼らはそのうち、ブリテン島を統一しようと考えます。
そんなうまくいくんでしょうか。
七つを一つにまとめあげるなんて、考えただけでも不安要素しかありません。
ところが。
ブリテン島内で何か起こるのかと思いきや、外からデーン人が侵略してきたのです。
デーン人とは、ヴァイキングの一派で、デンマークを拠点としたノルマン人です。(デンマーク拠点なのでノルマン人ではありますが、デーン人と呼ばれていた)
これがまた強くて、830年、ブリテン島は彼らによって支配されてしまうのでした。
ウェセックス王国の逆襲
万事休すでしたが、ここで救世主であるウェセックス王があらわれます。
その人物がアルフレッド大王でした。
彼の活躍でブリテン島を奪い返し、デーン人を北東部へ追いやったのです。
とはいうものの、北東部はそのままデーン人の支配地(デーンロー地方)として残されます。
ここからしばらくは平和な状況が続き、ついにアルフレッド大王の孫が正式にイングランド王となります。
937年、初代イングランド国王の誕生です。
デーン人の再来
ほっとしたのも束の間。
10世紀末にはイングランド内部で揉め事が生じます。
11世紀に入るとなんとデーン人が再びやってきます。
実はイングランド国王エゼルレッド2世が、ブリテン島北東部にいるデーン人を皆殺しにする命令をしたからです。
これにはデンマーク王も黙ってはいません。
スヴェン1世がブリテン島に上陸し、エゼルレッド2世の軍隊を破ってなんとイングランド王についてしまうのです。
ところがスヴェン1世は1014年に急死。
1016年、スヴェン1世の子であるかの有名なクヌートが上陸します。
クヌートはその後、デンマークとノルウェーも支配することとなります。
これがいわゆる、「北海帝国」です。
そんな彼がブリテン島までやってきて、まさかのイングランド国王にも即位してしまったのですから大変です。
イングランド王国は、デーン人に征服されてしまったのです。
しかし、この征服王朝であるイングランド王国は、クヌートの死後(1035年)混乱に陥ります。
そりゃ無理ですよね。
本国デンマーク以外に、ノルウェーとイングランドを支配するなんて、よほど力のある者でないと続けることはできません。
ウェセックス王家、再臨なるか!?
その後ノルマン征服までの過程はこちらを参考ください↓↓
どうでしょうか。
結局、ノルマン朝から現代まで続いていくわけですから、ヴァイキング一派がUKのルーツになっていると思うのですが、どうもそうとは言わないみたいですね。
アングロ・サクソン系からイギリスの歴史が始まっている、という風に言われるのははじめにブリテン島にやってきたアングロ・サクソン人に重きを置いているようにみえます。
参考図書
逆転のイギリス史 衰退しない国家 玉木敏明 日本経済新聞出版社
ワケあって滅亡した帝国・王朝 祝田秀全 河出書房新社