宗教史★★★
さて、わかるようでわかりにくいイスラム教のスンニ派とシーア派について簡単にお伝えします。
時代は7世紀前半です。
オリエント地域は当時、こんな勢力図です。
570年頃、メッカにムハンマドという人物が生まれます。
イスラム教の開祖です。
彼は、メッカの支配者層であるクライシュ族のハーシム家に生まれます。
そして商人としての人生を歩んでいくのです。
「クライシュ族」というのを覚えておこう
ところがムハンマドが40歳になったとき、突然神の啓示を受けます。
ここから、イスラム教が始まっていくのです・・・・
イスラム教の画期的ですごいところ
これはなんといっても、
信仰で結びつく共同体をつくったこと
これに尽きます。
今までは部族でまとまったり、地域でまとまったり、という共同体でした。
ところがこのイスラム教は、信仰で結びつく共同体(これをウンマという)をつくりだし、イスラム教団としてまとまりはじめたのです。
このおかげで、広範囲の支配ができるようになったんです。
イスラム教徒であれば、部族や地域は関係ないってことだね。
シンプルでわかりやすいイスラム教
イスラム教は現世の行いについて、細かいところまですべてが決められています。
日常生活から政治的なことまで、すべてです。
それらの行いを現世でまっとうすることで、最後の審判の日に天国にいくか地獄にいくか決められるのです。
「そんなの自由じゃない、不便だ!」と思う人もいるかもしれませんが、ルールが決まっていたらそれに則るだけなので、ある意味シンプルでわかりやすく、生きるのも楽なのです。
設定もシンプルです。
神は唯一神アッラーのみ。
天使は神聖なものと考えるが、それ以外に神聖なものはない。
ムハンマドも、あくまで人間。
この世に誕生した最後であり最も優れた預言者、それがムハンマド。
ユダヤ教のモーセやキリスト教のイエスも同じ預言者だけど、ムハンマドが一番最後の預言者でこれ以降は現れない、ということだね。
そう。ユダヤ教徒もキリスト教徒も同じ神の言葉を信じる仲間たちと考えられ、啓典の民としてイスラム教では受け入れられています。
とても寛容な宗教なんですよね。
よく聞く言葉
イスラム教の話でよく出てくる言葉をまとめました。
クルアーン(コーラン):聖典。神の言葉がそのまま記されている。
ハディース:ムハンマドの言行(=スンナ)を記録した書物
シャリーア:イスラム法。イスラム法学者たちがクルアーンとハディースをたたき台にしてつくったもの。
カリフ:神の預言者の代理人。ムハンマド死後、跡を継ぐ人たちを指す。
イスラム教には神と人をつなぐ媒介者がいません。
信者はすべて平等です。
一方キリスト教は、聖職者や教会があります。
昔は聖職者を通してしか神の言葉を聞くことができなかったのです。
スンニ派とシーア派
ムハンマド死後、跡を継ぐ者が必要となりました。
ムハンマドは唯一無二の預言者ですから、この跡を継ぐ者たちはあくまで神の預言者の代理人です。
それを、カリフと呼びます。
カリフになれる条件はいくつかあるのですが、その中に「クライシュ族出身」というのがあります。
クライシュ族はメッカに住んでいたアラブの部族で、ムハンマドの11代前の祖先を共通の祖先とした人々を指すんだよ
特に、ムハンマド死後、4代続いたカリフの時代を「正統カリフ時代」と呼びます。(632年~661年)
なぜなら、イスラム教団の中から選ばれたカリフが治めていた時代だからです。
正統カリフ時代最後のカリフ、アリーが暗殺されたのち、カリフを名乗ったのはウマイヤ家のムアーウィアでした。
ウマイヤ家もクライシュ族であることは間違いありません。
しかし、ここからカリフはイスラム教団から選ぶのではなく世襲制になっていきました。
ウマイヤ朝の始まりです。
そしてここから、スンニ派・シーア派に分かれていきます。
ウマイヤ家からのカリフでいいよ!!→スンニ派
いや、正統カリフであったアリーの子孫しかカリフになるのを認めない!!→シーア派
アリーの後継者を名乗るフサインが、シーア派の支援を受けながら680年、ウマイヤ朝と戦います。
カルバラーの戦いです。
勝者はウマイヤ朝でした。
それからも何度かいざこざはあったものの、ウマイヤ朝のあとのアッバース朝時代になると徹底的に弾圧されました。
スンニ派とシーア派の原点は、正統カリフ時代の後、誰がカリフとして跡を継ぐべきなのか、にあるわけです。
いま、イスラム教をみたとき、だいたいスンニ派:シーア派の割合は9:1です。
ほぼ、スンニ派ですね。
シーア派が多数を占める国はイランとイラクくらいです。
また、それぞれの派の中でもいくつかグループがあります。
シーア派:十二イマーム派、イスマイール派、アラウィ―派など
スンニ派:ワッハーブ派など
ちなみに、シーア派とはもともと「シーア・アリー」と呼ばれていて、意味は「シーア(=派・党)・アリー」なのでアリー派(党)と訳せる。
しかし時間の流れと共に、アリーの部分が消えてしまい、単に「シーア派」と呼ばれるようになったんです。
ということは、正しく訳すとシーア=派だから、シーア派と読むと意味がかぶってるってことだね!?
シーア派はアリーの子孫が各時代にイマーム(導師)として君臨すると考えており、それゆえシーア派にとっての最高指導者はカリフとは呼ばずにイマームと言います。
また、後にシーア派が建てた王朝が現れますが(ファーティマ朝、ブワイフ朝、サファヴィー朝)、それ以外はスンニ派の王朝です。
そのあたりはまた本編でお話していきましょう。
参考書籍
文字と組織の世界史|鈴木董著|山川出版社
世界を動かす「宗教」と「思想」が2時間でわかる|蔭山克秀著|青春出版社
真実の世界史講義中世編|倉山満著|株式会社PHP研究所