ナポリ大学 ヨーロッパ初の国立大学はいかにして生まれたか

「ナポリ大学」と検索するとどんな結果が出てきますか?

フェデリコ2世ナポリ大学

この名称が出てくるのではないでしょうか。

フェデリコ2世って誰だ??と思った方。

世界史の授業でならっているんですよ。

そうなんです、「玉座の上の最初の近代人」と呼ばれたあのフリードリヒ2世をイタリア語読みすると、「フェデリコ」となるのです。

そんな彼が1224年に設立したのが、ナポリ大学でした。

フェデリコ2世ナポリ大学に改名されたのは、1987年のことです。

※本サイトでは、日本人に馴染み深い「フリードリヒ2世」の名で以降統一したいと思います。

もくじ

当時の大学の常識を覆す!教養人フリードリヒ2世が考えた「大学」像

ヨーロッパ最古の大学はどこでしょうか?

それは、ボローニャ大学です。

Googleマップより ボローニャ大学の位置

1088年に設立されました。

実は、学びたい意欲の強い若者たちが集まって学生組合をつくり、教授となる人たちを集め、その教授たちに学生組合が授業料を払うといった形で始まりました。

しかし、当時の学びの対象は「神学」や「教会法」といったもので、これを後援したのはもちろんローマ法王庁でした。

その後も聖職の道を進むための学びの場だったり、修道僧たちが設立した大学だったりと、当時設立されていく大学は、今私たちが通う大学のようなイメージとはかなり違うことがわかります。

そんな時代の中で、フリードリヒ2世はこんな構想をするのです。

  • 設立資金は国費(=シチリア国王であるフリードリヒ2世)で賄い、運営する。
  • 教授への報酬も国庫から支払う。
  • そのため学生の授業料は無料。
  • 神学や教会法以外の課目も導入。(ローマ法を主要課目に。他、哲学や倫理学、修辞学・・・etcも扱う)

教授陣を聖職者で固めるのではなく世俗界の学者で固める、という画期的な学びの場を提供しようと考えたのです。

まさに、知識人であり教養人でもあったフリードリヒ2世ならではの考えですね。

当時、各大学がその大学の理念みたいなものを掲げているのですが、だいたいは「神」や「宗教」に絡んだ言葉を掲げています。

例えば、「神こそはわが光明」だったり、「ペテロは偉大な父であり、ボローニャは法律の母である」といった具合に。

ところが、ナポリ大学は「知識の習得と学びの源泉のために」といった意味合いのものを掲げています。

聖職者になりたいわけではないが、知識や学問を深めたいと思う若者たちがこの大学に惹かれることとなります。

Googleマップより フェデリコ2世ナポリ大学の位置

ナポリ大学を宣伝せよ!フリードリヒ2世の奔走

とはいうものの、画期的な大学だからといってすぐに受け入れられるものではありません。

みなさん、思い出してください。

時代は1200年代ですよ。

振り返れば「暗黒の中世」と言われた、まさにそんな時代です。

「神」から離れた考えをするほど、奇異の目で見られる時代です。

今とは全然異なる価値観の中で、今の時代に称賛されるようなものをつくっても、どれだけの人々に受け入れられるものなのでしょう。

フリードリヒ2世も随分苦労したと思われます。

そんな彼は何をしたのか。

  • イタリア半島全域から教授陣を集める。
  • その中に、ボローニャ大学から引き抜いた人も入れる。
  • 奨学金制度の確立。
  • 貸付制度も確立。
  • 遠くからやってくる学生を考慮し、ナポリ市内の借家料の上限額を定める。
  • 大学内自治を認める。(校内の不法行為は校内の教授陣が最終判断する)
  • 勧誘パンフレットの作成

奨学金制度がこのときに考えられたのはすごいことですよね。

世界初ではないでしょうか。

少なくともヨーロッパ初だと思います。

学生ファーストというか、学生が心配するようなことすべてを網羅してくれている内容ですよね。

後に、この大学の卒業生にローマカトリックの神学者であり哲学者でもあるトマス・アクィナスがいます。

そして実はナポリ大学では医学部も存在しました。

これは当初うまくいかず1231年に閉鎖されてしまったのですが、当時サレルノにあった医学校を強化する形で継続しました。

その際、フリードリヒ2世は(神聖ローマ帝国皇帝でもあったので)「自分の主治医はサレルノ医学校の医師のみとする」と宣言し、これはつまりサレルノ医学校の医師のみが「神聖ローマ帝国皇帝」主治医になれる、という権威付けにもなったのです。

対外戦略も上手ですね・・・。

ちなみに、サレルノ医学校は現在のサレルノ大学の前身で、ヨーロッパ最古の医科大学といわれています。

長く続かなかったナポリ大学のその後

しかし、時代はむなしくもフリードリヒ2世の考えに追いつくことはできませんでした。

また、新興の大学が受け入れられるほど多様性の世の中ではないことはもちろん、いくら神聖ローマ皇帝お墨付きとはいえナポリ大学が確固たる地位を得ることは簡単ではありませんでした。

1245年にローマ教皇後援のもと、新しい神学と法学部がローマに設立され、ナポリ大学からも多くの学生が流出したとか。

なんとか存続させるため、ナポリ大学に残っていた課目を1253年にサレルノに移転しました。

ところが結局これもうまくいかず、医学部だけをサレルノに残して1258年にナポリ大学にまた戻したのです。

この再設立はフリードリヒ2世の庶子マンフレーディが行いました。

その後はフランスアンジュー家が南イタリアを支配するのですが、その際に改革が行われ、一方で今度はサレルノが衰退に向かうことでナポリ大学はなんとか息を吹き返し、いまに至るまで歴史ある大学の1つとして存続できたのです。

フリードリヒ2世が生涯かけて設立・運営したナポリ大学は、彼の強い意志・理念のおかげで存続できたのではないでしょうか。

当時を生きる学者のたまごたちに学ぶ機会を与えたこと、聖職者以外の世界を広げたこと、何より人間が本来もっている学ぶことへの意欲や探求心を奨励したこと、誕生するのは少し早かったかもしれませんが、潜在的に求められたものだったのでしょう。

設立したフリードリヒ2世に敬意を示すとともに、その後幾度となく訪れたであろう危機(消滅だったり戦争だったり・・・)から守っていまに繋げてくれた人々に感謝したいですね。

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