詳説世界史B(改訂版) P16~P19 (山川出版社)
教科書冒頭に出てくるのは、「第一章オリエントと地中海世界」です。
地中海周辺地域の古代文明はどのように生まれて発展していったのか、順を追って見ていきましょう。
オリエント世界の風土と人々
オリエントとはヨーロッパからみた「日ののぼるところ、東方」を意味し、今日「中東」と呼ばれる地方をさす。この地方は、秋から冬にかけての雨季以外には降雨がほとんどなく、しかも気温が高いために、砂漠・草原・岩山をなす地域が多い。そこでは羊やラクダを飼育する遊牧生活に加えて、沿海や河川流域の平野、あるいは点在するオアシスで、小麦・大麦・豆類・オリーヴ・ナツメヤシなどを栽培する農業が営まれてきた。とくにティグリス川・ユーフラテス川、ナイル川など大河の流域では、定期的な増水を利用してはやくから灌漑農業がおこなわれ、大規模な定住がすすみ、高度な文明が発達した。
詳説世界史B(改訂版):山川出版社
オアシスとは、砂漠の中で,水がわき,樹木の生えている場所をいいます。
ナツメヤシは我々日本人にはあまり馴染みがないですが、ナツメヤスの果実であるデーツというのは、乾燥させると保存性も増すので北アフリカや中東では昔から重宝されていました。
日本では最近、ドライフルーツで見かけることもあるかもしれませんね。
ちなみに、ナツメヤシと棗(なつめ)はまったく異なるものです。
灌漑農業とは、辞書的な意味でいうと「人工的に水を土地に供給して行う農業。乾燥地域などに普及し,農業生産の拡大に役立つが,管理が悪いと塩害など土地の不毛化を招く。」とあります。
つまり、田畑に必要な水を供給し、不要となった分を排水するという、一連の管理を指します。
紀元前3千年頃からこんな技術があるのは驚きですよね。
ティグリス川・ユーフラテス川流域のメソポタミアでは、前3000年頃から都市文明が栄えた。この地域にはアラビア半島や周辺の高原からセム語系やインド=ヨーロッパ語系の遊牧民が豊かな富を求めて移住し、複雑な歴史をひろげた。ナイル川のめぐみをうける豊かなエジプトは、一時は異民族の侵入があったが、メソポタミアとは異なり砂漠と海にかこまれているため、エジプト語系の人々が長期にわたって高度な文明を営んだ。また両地方を結ぶ交通路にあたっていたシリア・パレスチナ地方は、メソポタミアにかけて「肥沃な三日月地帯」を形成し、小麦やオリーヴの栽培をおこなうとともに、セム語系の人々が地中海の交易に活躍した。
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都市文明と言われるのに必要な定義が、「文字の発明と使用」です。
メソポタミアでは楔形文字が使われますが、そもそもなぜメソポタミアに文字を使う必要がでてきたのか。
その答えが灌漑農業です。
まず、なぜ人はティグリス、ユーフラテス川に集まったのか。
当時バラバラに住んでいたそれぞれの土地で、地球規模の乾燥化が起こります。
すると生きるのに必要不可欠な水を求めて人々は移動を余儀なくされます。
そして大抵が大きな川にたどり着くのです。
それがアフリカだとナイル川で、中東だとティグリス、ユーフラテス川だったのです。
人々が集まると、水資源をどう活用して管理していくか、ということになります。
争いを防ぐのに水の使い方の管理が必要となり、それは文字を生み出し記録することへ繋がります。
灌漑農業は必然的に文字を生み出したのです。
こうして都市文明が確立していきます。
セム語系やインド=ヨーロッパ語系の話はこちらにまとめているので参考にしてください↓↓
オリエント社会では、大河を利用した治水・灌漑をおこなうために、はやくから宗教の権威によって統治する強力な神権政治が出現した。その結果、神としての王の権力やその信仰生活のありさまを表現する独特の文化がうみだされた。
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人口が増え、貯蔵できる食べ物があると、人間は格差を生み出します。
狩猟採集のみで定住していると格差はなかなか生まれません。
ではなぜ農耕社会で貯蔵ができると格差社会になるのか。
それは、貯蔵できるとそれを生産するものと管理するものが出てきてしまうからです。
昔は貯蔵は食料ですが、現代にあてはめるとお金といえばわかりやすいかもしれません。
話が少しそれましたが、人口が多くなり都市文明が発達すると大人数をまとめるのに、何かしら力を持った人間が必要となります。
宗教を利用した神権政治とは、そういうことです。
人々もまた、そのような神的な力を持った指導者を求めるのです。
シュメール人の都市国家
灌漑農業の発達したメソポタミア南部では、前3500年頃から人口が急激に増え、神殿を中心に数多くの大村落が成立した。やがて文字が発明され、銅器・青銅器などの金属器が普及しはじめた。
前3000年頃には、神官・戦士・職人・商人などの数が増え、大村落はやがて都市へと発展していった。各都市はやがて都市へと発展していった。各都市はそれぞれ独立の道を歩み、前2700年頃までにウル・ウルクなどシュメール人(民族系統不明)の都市国家が数多く形成された。これらの都市国家では、王を中心に、神官・役人・戦士などが都市の神をまつり、政治や経済・軍事の実権をにぎって人々を支配する階級社会が成立した。
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シュメール人は当初、セム語系の民族だと考えられていましたが、近年異なることが判明しています。
セム語系の言語の文章がいくつか発見されていたのでそのように思われていたのですが、どうも解読できない文書も多くあり、なぜだろう?と疑問に思われていました。
結果それはシュメール語だということがわかったのです。
そしてシュメール人はセム語系のではないとわかったのはいいのですが、結局今のところ民族系統は不明になったままです。
言語系統からは、どちらかというとアジア人(コーカサスやモンゴル)に近いといわれています。
その結果、優勢な都市国家の支配層には莫大な富が集まり、壮大な神殿・宮殿・王墓がつくられて、豪華なシュメール文化が栄えたが、前24世紀にはセム語系のアッカド人によって征服された。
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シュメール人のあとに現れるアッカド人はセム語系の民族で、以降セム語系の時代しばらくが続き、そしてメソポタミア地域にはインドヨーロッパ語族が侵入してくるのです。
ちなみに、シュメール人国家に攻め込んだのはアッカドを建国したサルゴン王と言われています。
要約
今日、「中東」と呼ばれる地域では、乾燥化が進んだことにより大河周辺に人々が移動していきました。
そこで人々の定住がすすみ、都市文明が栄えはじめます。
それが、メソポタミア文明とエジプト文明です。
都市文明が形成される定義の1つに灌漑農業があり、両者では形は異なれど、この灌漑農業の発達が文字を生み出していきます。
また、この両者を結ぶ交易が発達し、セム語系の人々が地中海交易で活躍します。
灌漑農業は文字を生み出しただけでなく、強力な統治者も求めます。
宗教権威による統治という神権政治のはじまりです。
その後都市国家が各地にあらわれ、シュメール人が増えていきますが、300年ほど経った頃にアッカド人により征服されてしまいます。
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