オリエント史★★★/ローマ史★
世界史で習うオリエント史の中でも、少ししか触れられないパルティア。
実は、紀元前3世紀頃からはじまり、ササン朝ペルシアによって滅ぼされる226年までの約500年にわたって続いた王朝です。
1つの王朝が500年近く続くってなかなかないことです。
でもあまりパルティアって印象に残っていないな・・・
そもそもパルティアが生まれる前のオリエント世界はどうなっていたのか。
まずはそこから確認していきましょう。
\ 参考書籍はこちら /
アレクサンドロス大王後の世界
時代は紀元前334年。
アケメネス朝ペルシアがアレクサンドロス大王の遠征により滅亡した後、大王自身も感染病により亡くなってしまいます。
\ 関連記事ボタン /
カリスマ的存在の大王が思わぬ若さで亡くなったため、後継がうまくいきません。
結局その大きな支配地域は分割統治となり、学校では大きく3つの名前を覚えたのではないかと思います。
- プトレマイオス朝エジプト
- セレウコス朝シリア
- アンティゴノス朝マケドニア
ヘレニズム時代を象徴する3国です。
ヘレニズム時代とは、地中海地域と中東地域の文化が融合した時代です。
「ヘレニズム」という言葉は、ギリシア語でギリシアを「ヘラス」と呼ぶので「ギリシア風」という意味になります。
セレウコス朝シリアの分裂
アケメネス朝ペルシアの領域はセレウコス朝シリアが引き継ぐ形になったのですが、その広大な地域をおさめることができず、セレウコス朝シリアは徐々に分裂していきます。
いまのアフガニスタンあたりはバクトリアが、小アジアの西北部はペルガモン王国が、そしてイランあたりにパルティアが独立してそれぞれ勢力を強めていきました。
パルティアという名は地名からきています。
それはアケメネス朝ペルシア時代から存在している「パルサヴァ」という地名です。
そして紀元前247年にアルサケスという人物がセレウコス朝シリアに反旗を翻して独立して建てたのがパルティア王国でした。
パルティアはアーリア人の王国です。
当初の支配領域はイラン北西部からトルクメニスタンにかけてでした。
その後100年経過する頃にはバビロニアまで支配領域が広がります。
最終的にはセレウコス朝をイラン高原やメソポタミアから追い出し、パルティアは紀元前100年頃までに最大領域を得ることになったのです。
強い王国、パルティア
パルティアはスキタイ系の騎馬遊牧民です。
パルティアの騎馬軍は強者揃いと有名で、彼らは馬で逃げると見せかけて振り向きざまに矢を射る「パルティアンショット」が得意でした。
世界史図録にも必ず載っています。
大人になって読む世界史図録は結構おもしろいですよ
パルティアは、当初はセレウコス朝シリアと戦争が続きますが、その後はローマ帝国との戦争を繰り返します。
この頃のローマは、共和政から帝政に移る頃で、有名な人物でいうとアウグストゥス帝がいた頃です。
ローマはセレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトを滅ぼしました。
その支配領域の拡大は留まることを知らず、必然的に東のパルティアとぶつかることになるのです。
ローマ帝国とパルティアは、主に小アジア東部とアルメニアの帰属問題で争っていたようです。
なんと300年近く争っていたとか・・・!
パルティアはローマ帝国と一進一退の攻防を繰り広げますが、結果的に戦費がかさみ、後半の方は国内諸侯の反乱や身内の対立により衰退していきます。
一方で、交易の部分では東西文化の融合が進み、中国の文献にもパルティアの名前が多く残されていることがわかっています。
中国はパルティアを「安息国」と呼び、これはアルサケスの名からあてられたものと考えられています。
パルティアはアケメネス朝ペルシアのように寛容的な社会を築き、東西を結ぶシルクロードの交易を発展させ、各地のオアシス都市を結合していったのです。
パルティアのミトラ信仰
パルティアについてもう一つ。
彼らの信仰はミトラ教という、太陽神を崇める宗教でした。
このミトラ教、ヘレニズム文化と融合することで地中海へ伝播され、ローマ帝国内では軍神ミトラスの信仰が広まったと言われています。
また、ミトラ教は東はシルクロードを通して仏教と融合しました。
唐に伝わり、朝鮮半島の新羅や日本にも伝わっています。
未来仏の弥勒がそれにあたり、日本でも盛んに信仰されることになったのです。
ちなみにパルティア内では、ミトラ教は次第にゾロアスター教に包含されていったとされています。
アケメネス朝ペルシア〜ササン朝ペルシアまで
さて、パルティアのあとはササン朝ペルシアがオリエントを支配します。
その後はイスラム教の出現で時代はまた大きく変わっていきます。
これをもって、アーリア人の王朝(アケメネス朝ペルシア~ササン朝ペルシア)1000年の歴史はイスラム世界と交代する形で終わりを告げました。
ここまでの王朝を振り返るのに、ぜひこちらも参考ください。