オリエント史★★★/紀元前史★★★
教科書ではサラッと終わってしまうところだけど、実はアケメネス朝の大統一はすなわち古代メソポタミア史の終わりでもあるんだよ
え?それはどういうこと?
今までは、紀元前3000年頃からメソポタミア地域でシュメール文明が興って、ウル・ウルク・ラガシュなどの都市国家が形成されてきた
チグリス川とユーフラテス川に挟まれた肥沃な土地あたりで文明が生まれたのよね?
そう、その後はエジプトと並んで常に文明の最先端をこのメソポタミア地域が担っていたんだ
いろんな王国も生まれたよね!
その歴史の中心のメソポタミアが、ついに終わりを告げる、まさにそのときがきたんだよ
今日のお話は、アッシリア統一からアケメネス朝ペルシア大統一の間、すなわち古代メソポタミアの終わりを見ていきたいと思います。
アッシリア滅亡
古代メソポタミア史の最後をお話する前に、まずアッシリアの滅亡からお伝えしていきます。
このアッシリア滅亡後、メソポタミア地域は主に3つの王国とエジプトが関わってきます。
メディア
リディア
新バビロニア
エジプト
まずは紀元前614年、メディア軍がアッシリアのアッシュル市を陥落させます。
ここはその前年に、新バビロニアが攻略しようと攻め込みましたが、失敗に終わった場所です。
焦った新バビロニアは、メディアに同盟を提案します。
そしてこの2つの王国で、ついにアッシリアの首都ニネヴェが陥落したのです。
アッシリアの心臓部をやられたわけですから、もはや反撃もむなしく、結局紀元前612年にアッシリアは滅亡しました。
その後の勢力図はこんな感じになります↓
謎多きメディア王国
メディア王国は紀元前728年に興ったとされています。
しかしあまり史料はなく、どちらかというと謎が多い王国として語られています。
元々メソポタミア地域の東の端の方で興った王国ですが、アッシリアが西の方に勢力拡大をしている隙に、アッシュル市に攻め込み、新バビロニアと手を組んでニネヴェを陥落させました。
そしてその後、今度はメディア王国がイラン高原からアナトリア高原東部にまで勢力を伸ばし、西のリディア王国と対立していくことになります。
そんな勢いあるメディア王国ですが、果たしてこのあとどうなっていくのか…?
その前に、アナトリア半島西部に位置したリディア王国に目を向けてみましょう。
世界初の金属貨幣を生み出した、リディア王国
リディア王国はアッシリア統一後に建国された王国です。
紀元前680年頃といわれています。
この王国が歴史的に有名なのは、世界で初めて金属を使った硬貨を作ったことです。
アナトリア半島には砂金を豊富に産出する鉱山や川がありました。
鉱物があったとしてもそれを硬貨にする技術がないと作れないですし、そもそも貨幣というものを作りだした=決済機能を生み出した、という点でリディア王国はなかなかのやり手であったと考えられます。
これは、西はギリシアのポリス社会でも使われ、東は後のアケメネス朝にも広がっていきます。
そんなリディア王国は、メディア王国と頻繁に戦を繰り広げます。
しかし、紀元前585年に新バビロニアのネブカドネザル2世の執り成しで、和平条約を結びます。
え?急に?
どうも、戦っているときに日食が起きたみたい
え?それが理由??
そんなの理由にならないだろ!
いやいや、今でこそ日食の仕組みはわかっているけど、当時、なんの知識もなく昼間に急に真っ暗になったらどう思うかな?
う…なんか気味悪いって思うな…
そう、きっとこれは何か不穏な出来事の前触れなのか、はたまた神が怒っていると思ったのか、恐怖のあまり彼らはとにかく戦いをやめて一旦落ち着こう、と思ったんだろうね
その仲裁に入ったのが新バビロニアの王だったのね
そしてこの3国は均衡を保とうと、お互いの国同士、婚姻関係を結んでいきます。
新バビロニア王国の独立
新バビロニアは、アッシリアの中で紀元前625年、独立を果たします。
紀元前604年~562年に生きたネブカドネザル2世が一番有名な王として我々は名を聞いたことがあるかもしれません。
しかし、メディア王国と手を組み、アッシリアのニネヴェを陥落させたのはナボポラッサル王です。
その皇太子がネブカドネザル2世になります。
ネブカドネザル2世は、シリア・パレスチナの地をエジプト軍と取り合っていました。
ちょうど、エジプトとメソポタミアの中間地点が、このシリア・パレスチナの地でした。
この土地の覇権争いを両国がしていたのですが、勝者はネブカドネザル2世でした。
そして父ナボポラッサル王が亡くなると同時にネブカドネザル2世が王位につきました。
彼は手に入れたシリア・パレスチナの地から、ユダヤ人を連れていきます。
3回にも分けて行われたようです。
バビロン捕囚だね
そう、もう何度もこの話は出てきているから大丈夫だね!
そしてこの後、バビロン市は繁栄していきます。
どこにも滅亡する要素が見当たらないけど…
世界史図録にも載っていますが、バビロンに建てられたイシュタル門は壮大・壮観だったと思われます。
その復元がドイツベルリンのペルガモン博物館にあります。
また、発掘されたバビロン遺跡の一部は2019年に世界遺産登録がされています。
さて、そんな新バビロニア王国ですが、滅亡の足音が近づいてきます…
アケメネス朝ペルシアに滅ぼされた三国
まずはアケメネス朝ペルシアに一番近かった、東のメディア王国が紀元前550年に滅亡します。
続いてリディア王国が、紀元前546年に滅亡します。
もちろん、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世によって、です。
新バビロニア王国は、ネブカドネザル2世の死後、長男が王位を継承するも2年で終わり、その次の王も短期支配で終わってしまいます。
どうも、王位継承がうまくいきません。
結局、王位を簒奪したのは第六代ナボニドス王です。
しかし、彼は新バビロニア王国最後の王となってしまいます。
彼は信仰と交易に力を入れていたようですが、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世がバビロン市に攻め込んできたとき、手も足も出せず無血開城したといわれています。
ナボニドス王はアケメネス朝ペルシアに捕まります。
これをもって、紀元前538年頃、新バビロニアは滅亡しました。
古代メソポタミアの終焉
この、新バビロニア王国の滅亡をもって、文明の主役舞台だったメソポタミアは終わりを告げます。
この後、東西の異邦人たちが活躍し、このメソポタミア地域を支配していきます。
最終的には7世紀にイスラム教が興り、アラブ人が支配し現在に繋がっていきます。
メソポタミアという言葉も、アケメネス朝ペルシア以降は教科書でほぼ聞くことはないでしょう。
でも、古代メソポタミア史は人類の都市国家が生まれ、さまざまな民族のぶつかり、文化や文明の発展がめざましいダイナミックな時代だったと思います。
ローマ史が好きな人も多いともいますが、ぜひ、メソポタミア史も興味を持っていただけるとうれしいです。
もっと深い話を知れば、歴史はおもしろくなると思います。
さぁ、このあとはペルシア人が活躍していきます。
アレキサンドロス大王も出てきます。
まだまだ続いていく歴史を、いろんな視点からみていきましょう!
参考書籍
古代メソポタミア全史|小林登志子著|中央公論新社
アケメネス朝ペルシアー史上初の世界帝国|阿部拓児著|中央公論新社