ローマ史★★★
世界遺産で有名なポンペイ遺跡。
名前はなんとなく聞いたことあるけど、実際どこに遺跡があって何がすごいのか?
いろいろ確認していきたいと思います。
ポンペイはどこにある?
まずは場所をおさえましょう。
ポンペイはイタリア・ナポリ近郊にあります。
当時の推定人口は20,000人。
かなり大きな古代都市だったことがわかります。
古代ローマの都市として有名ですが、実はそのずっと前からこの地は発展していたといわれています。
古代ローマよりも前?ということは、時代はいつぐらい?
紀元前8世紀頃、古代ギリシア人が海をわたってこの地にやってきたといわれてるよ
紀元前5世紀には都市として発展、『ネオポリス=新都市』と呼ばれたそうです。
ナポリより南にどんどん町を作っていったようで、それはシチリア島にまで及びました。
この、古代ギリシア人が移り住んで形成した南イタリア一帯を、『マグナ・グラエキア=大ギリシア』と呼びます。
その中でもナポリが最大の都市でした。
その後、古代ローマにより支配されたのです。
ポンペイが消えた日
西暦79年8月24日、ベスビオ火山の噴火によって発生した火砕流によって一瞬にして地中に埋まりました。
ベスビオ火山とポンペイの距離は約10㎞。
ベスビオ火山はいまも活火山です。
100年に1度くらいの周期で噴火があるそうですが、この、西暦79年の噴火が歴史上一番大きかったと言われています。
噴火したときは軽石が多く降ってきたようですが、約12時間後に火砕流が一気に押し寄せてポンペイは時が止まりました。
降灰はその後も続き、ポンペイは完全に埋まってそのまま長い年月が流れました。
次に見つかるのは18世紀です。
1748年からの発掘で驚くべき全貌が明らかにされました。
逃げ遅れた人間や犬、食事中のテーブル、さまざまな食物、医療器具、遊具、ポスター、その他日常品などがそのままの状態で見つかったのです。
ポンペイ遺跡はまさに古代ローマ人の生活を知るための宝庫です。
止まっていた時間がようやく動き出し、我々にいろんなことを教えてくれます。
現在は8割が発掘され、巨大な遺跡公園として、火山灰に埋もれる直前の街のたたずまいがそのまま再現されています。
アレクサンドロス大王のモザイク絵画も、ここから見つかりました。
あの有名な、教科書で載っているやつ?
そう。いまはナポリの国立博物館に収められているよ。
かのモザイク画は意外と大きい。
横約5・8メートル、縦約3・1メートルの作品。
数百万個もの石片が使われています。
アレクサンドロス大王が「イッソスの戦い」でペルシャ軍と戦う様子が描かれています。
そしてこのモザイク画、実は遺跡の中のとある邸宅の床に描かれていたのです。
床なんだ!?
ちょっと不思議な感じがするわね。
「ファウヌスの家」と呼ばれる当時有力者であった邸宅の居間の床を装飾していました。
いまは博物館の壁に飾られています。
遺跡からわかる当時の生活
いまも発掘が続いているポンペイ遺跡。
最近の発見では、裕福な男性と奴隷と推測される男性、それぞれの遺体が見つかったようです。
今回の発見は、ポンペイ近郊にあった大きな村の発掘調査で明らかになった。
当局によると、裕福な男性の方は推定30~40歳。温かそうな毛織の衣服の痕跡が、首の下にあった。
もう1人の男性は推定18~23歳で、脊柱が圧迫されていたことから、肉体労働をしていた奴隷ではないかと考えられている。
固まった灰に残された空洞から遺体の型をとり、2人の姿の石膏像が作られた。
2人の歯や骨の一部はそのまま残っていたという。
「死因は高熱によるショック死だ。2人の手足にぎゅっと力が入っていることからも、それが分かる」とオサンナ氏は説明した。
BBCニュースジャパンより引用
その他にも、劇場などの公共施設や市場、道路標識や神話などが描かれた壁画など、町の生活がわかるさまざまなものが見つかっています。
極めて良好な状態で保存されていたというこのポンペイ遺跡。
本当に、偶然の自然現象により思わぬ歴史的産物となりました。
ポンペイ遺跡は66ヘクタールほどの広大な敷地を誇り、主要スポットを観光するだけで3時間はかかるといわれています。
そしてまだ発掘中なので、これからも新たな発見があることでしょう。
今はコロナによる観光制限も解かれ、ポンペイ遺跡に訪れることができるようになっています。